アトピー性皮膚炎に関する訴訟―「アトピー覚書」より
最近、私はようやく鬱も取れて、夜も悪い夢にうなされることなく眠れるようになってきました。美容で開業して14年、アトピー脱ステに関わっていたのは10年足らずだから、心が回復するのに、実際にアトピー脱ステ診療に携わっていた期間と同等あるいはそれ以上かかったということになります。
近年私が注目してチェックしている患者ブログに「アトピー覚書」というサイトがあります(→こちら)。
とくに最近の生物製剤の開発状況の解説記事はわかりやすく、私も勉強になることが多く、さくっと状況を把握するのに重宝させてもらっています。
彼のブログに、平成14年に脱ステ医が訴えられ敗訴した判決文が掲載されました(→こちら)。
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彼のブログに、平成14年に脱ステ医が訴えられ敗訴した判決文が掲載されました(→こちら)。
niその前の章では、平成元年の川崎ステロイド訴訟(患者側敗訴)が取り上げられています。彼の意図は、患者の視点からこの二つの判決を読んだときに、何が浮き上がってくるか?ということなのだと思います。おそらく次の(3)または(4)で語られるのではないでしょうか。
ブログ主の方の参考のために、平成14年当時、まだ脱ステ医の1人であった私の観点から、この訴訟がどう映ったかを記してみようと思います。
私は1990年代から脱ステロイドの重要性に気付き、95年頃から学会報告したり患者団体の講演活動に協力するといったことをしてきました。ステロイド依存の問題は皮膚科全体の不良債権のようなものであり、皮膚科全員で分担して解決していかなければならないということを訴えていました。
訴えれば訴えるほど、患者は私の外来に集中し、入院患者を常時10人以上抱えながら、外来患者の待ち時間は5時間を越えて、午前中の診療が夕方5時になっても終わらない状況が続きました。それでも私がこの仕事を続けていたのは、
1)当時勤務していたのが国立病院であり、民間で不採算の患者や医療を引き受けることこそが使命と考えていたこと、
2)小児科や眼科にお願いして、小児の敗血症や眼合併症など自分の手に余るケースを連携して対処してもらえる環境であったこと、
この二つがあったからです。
その一方で、各地の脱ステの先生方の手に余る、すなわち強いリバウンドや敗血症を来たしてきた患者を入院させて軽快まで全身管理するという作業も行ってきました。もちろんステロイドの再投与は一切無しでです。それを可能としたのは、
3)私がもともと内科で二年間研修していて全身管理は普通の皮膚科医よりは出来たのと、
4)何よりも入院設備があった、
という点です。看護師さんが見ていてくれて何かあったら連絡してくれるので、私は指示だけ出せばいいですからね。
それでも、心労・ストレスは大変なものでした。私の皮膚科医たちへの呼びかけは、反感と誤解で返されました。悪意すら感じるものでした。黙ってろ、タブーに触れるんじゃない、そんな嫌なストレスのもと、毎日の仕事をこなしていました。
脱ステロイドのリバウンドで40度以上の熱が続くことは確かにあります。家でこもって一週間くらい寝込んで回復することも現実にありますが、敗血症といって感染症起こしている場合もあります。その場合は入院して抗生物質の点滴や、DICへの進行を予防する治療が必要です。見極めを間違えると患者は本当に死の危険にさらされます。
私は、半年か一年に1人くらい、脱ステのアトピー患者をまさに救命してました。ステロイドは一切使用せずにです。ただ、誤解してほしくないのですが、他でも繰り返し記していますが、私は「ステロイドを使用してはいけません」と患者に言わない脱ステ医でした。患者に、「ステロイドを、とくに注射などの全身投与で用いながら離脱すれば、リバウンドを少し楽に乗り越えらるかもしれません。しかしステロイド無しでも多くの人は耐えられるようです。どうしますか?」と選ばせていました。責任転嫁ではなく、どっちだろうが、私には同じだったからです。ほとんど全ての患者がステロイド無しを選びました。だからといって、それで敗血症の致死率が上がるなんてことはありませんでした。ていうか、アトピーの敗血症でステロイド無しで何十人と治療しましたが、誰も死にはしませんでした。医学的理屈にも合いません。アトピー・リバウンドの治療と敗血症の治療はまったく別物だからです。
それでも私の心労はかなりのもので、不眠が続き悪夢を見るようになりました。そしてある日「悲しみ発作」が現れました。その日、外来でアトピー児を連れたご両親が治療法について意見が夫婦で食い違うと訴えていました。私はいつも通り、「ご両親がそうやって患児の前で病気のことで言い争うことが、アトピー以上にこの子の心を傷つけるんですよ」といったアドバイスをしていたのですが、不意に涙が流れて止まらなくなりました。当時、自分にも子供がいて、仕事とストレスのため顧みる余裕がありませんでした。家庭は崩壊寸前だったし、その後本当に崩壊しました。その自分がさも立派そうに、親としての心構えを説いている、こんな偽善ってあるだろうか?ずっと自分の中で押し殺していたものが、感情として涙となって流れたのだと思います。
2000年(平成12年)のことでした。ほどなく私は「過労による抑鬱状態」の診断のもと、3ヶ月間病休を取りました。
平成14年に訴えられた脱ステ医は、私も良く知っている方です。リバウンドの最中に40度の発熱があって、もしも私が元気だったら、遠方ではありましたが、金沢よりは近いですから、入院患者として受け入れていれば、こんな結果にはならなかったかもしれません。そう思うと悔やまれます。
そのあと、2003年(平成15年)になって、もう限界と感じて、私は国立病院を退職しました。退職後、アトピー脱ステの仕事を続ける気にはなりませんでした。理由は、
1)敗血症疑いのときに紹介できる病院が近隣にない、
2)脱ステロイドは経済的採算性が悪い、
3)平成14年の訴訟は平成15年当時まだ判決は出ていなかったが、皮膚科学会の権威筋が寄ってたかって脱ステ医を悪者にしたてるだろうから敗訴だろう。するとそれ以降の脱ステ診療は、医師からみて、訴訟リスクが格段に高まる。
4)以上をものともせず、脱ステロイドの臨床を続けて患者に寄り添い続ける気力が自分にはない。
です。
さらに付言すると、
5)アトピー脱ステに、医者、少なくとも入院設備も敗血症管理も出来ない環境にある開業医というのは不要なんじゃないか?
という懐疑もありました。それは、私が3ヶ月間病休を取ったあと、外来で再会した患者たちを診て思ったことです。3ヶ月と言う時間経過の分良くなってはいましたが、私が診ないことで悪くなった患者はいませんでした。
それで考えに考えた挙句、皮膚科出身だし、もともと手先は器用で小外科手術に向いていると思ったから美容外科・美容皮膚科に転向して開業したわけです。それがたまたま時流に乗ったのですが、これだけ流行るとは本当に思ってもみませんでした。
最近ようやく治まってきましたが、「悲しみ発作」は長く続きました。アトピーの話をしたり、アトピー患者を前にするだけで、不意に強い悲しみに襲われて涙が流れてくるのです。患者が不憫なのではないです。当時押し殺していた辛い経験が条件反射的に無意識から現れるのだと思います。
脱線話ばかりで恐縮ですが、「アトピー覚書」に紹介された二つの訴訟から当時の私が考えたことは、
1)医師が脱ステロイドを行う訴訟リスクが、この二つで非常に高くなってしまったな、ということと、
2)脱ステを旗印として開業医をするならば、発熱で敗血症疑った場合の紹介先を確保しておいたほうがいい、ということです。
1)は、若手が脱ステ診療に関わろうとしない大きな理由であろうし、2)は紹介先の医師から当の患者に、自分の悪口をさんざん言われる覚悟が必要でしょう。そのようなストレスにもめげず、脱ステ患者に寄り添う先生方と言うのは、本当の医師なんだと思います。
そういう「本当の医師」って、脱ステの現場に関わらず、確かに存在するんですよ。救急とかお産とか、リスクをものともせず、いったい自分にとってどんなメリットがあって、あんな辛そうな仕事続けてるんだろう?私のように美容とか楽な仕事にシフトも出来るだろうに、って感じる医師たちです。
私たちに出来ることは、そういう医師たちに対して、背後から拝んで感謝することだけです。過度に褒め称えてはいけません。それは実質的には他の医師たちに真似しろと過労を迫るようなものだし(だから私は医療ドラマが嫌いです)、何より、その医師が心が折れたり疲れたりしたときに転向できなくなるじゃないですか。それは患者(一般人)が自分たちの都合のために無意識に行う暴力・脅迫ってやつです。ただただ、後ろから静かに拝みましょう。
久しぶりに雑感を書きました。医師からの視点なので、必ずしも共感できない部分もあるでしょうが、理解を助けるためになるべく本音で書きました。ご参考までに。
(H29.9.25)
私が作製した中間分子量ヒアルロン酸化粧水「ヒアルプロテクト」のショップはこちら(下の画像をクリック)
ブログ主の方の参考のために、平成14年当時、まだ脱ステ医の1人であった私の観点から、この訴訟がどう映ったかを記してみようと思います。
私は1990年代から脱ステロイドの重要性に気付き、95年頃から学会報告したり患者団体の講演活動に協力するといったことをしてきました。ステロイド依存の問題は皮膚科全体の不良債権のようなものであり、皮膚科全員で分担して解決していかなければならないということを訴えていました。
訴えれば訴えるほど、患者は私の外来に集中し、入院患者を常時10人以上抱えながら、外来患者の待ち時間は5時間を越えて、午前中の診療が夕方5時になっても終わらない状況が続きました。それでも私がこの仕事を続けていたのは、
1)当時勤務していたのが国立病院であり、民間で不採算の患者や医療を引き受けることこそが使命と考えていたこと、
2)小児科や眼科にお願いして、小児の敗血症や眼合併症など自分の手に余るケースを連携して対処してもらえる環境であったこと、
この二つがあったからです。
その一方で、各地の脱ステの先生方の手に余る、すなわち強いリバウンドや敗血症を来たしてきた患者を入院させて軽快まで全身管理するという作業も行ってきました。もちろんステロイドの再投与は一切無しでです。それを可能としたのは、
3)私がもともと内科で二年間研修していて全身管理は普通の皮膚科医よりは出来たのと、
4)何よりも入院設備があった、
という点です。看護師さんが見ていてくれて何かあったら連絡してくれるので、私は指示だけ出せばいいですからね。
それでも、心労・ストレスは大変なものでした。私の皮膚科医たちへの呼びかけは、反感と誤解で返されました。悪意すら感じるものでした。黙ってろ、タブーに触れるんじゃない、そんな嫌なストレスのもと、毎日の仕事をこなしていました。
脱ステロイドのリバウンドで40度以上の熱が続くことは確かにあります。家でこもって一週間くらい寝込んで回復することも現実にありますが、敗血症といって感染症起こしている場合もあります。その場合は入院して抗生物質の点滴や、DICへの進行を予防する治療が必要です。見極めを間違えると患者は本当に死の危険にさらされます。
私は、半年か一年に1人くらい、脱ステのアトピー患者をまさに救命してました。ステロイドは一切使用せずにです。ただ、誤解してほしくないのですが、他でも繰り返し記していますが、私は「ステロイドを使用してはいけません」と患者に言わない脱ステ医でした。患者に、「ステロイドを、とくに注射などの全身投与で用いながら離脱すれば、リバウンドを少し楽に乗り越えらるかもしれません。しかしステロイド無しでも多くの人は耐えられるようです。どうしますか?」と選ばせていました。責任転嫁ではなく、どっちだろうが、私には同じだったからです。ほとんど全ての患者がステロイド無しを選びました。だからといって、それで敗血症の致死率が上がるなんてことはありませんでした。ていうか、アトピーの敗血症でステロイド無しで何十人と治療しましたが、誰も死にはしませんでした。医学的理屈にも合いません。アトピー・リバウンドの治療と敗血症の治療はまったく別物だからです。
それでも私の心労はかなりのもので、不眠が続き悪夢を見るようになりました。そしてある日「悲しみ発作」が現れました。その日、外来でアトピー児を連れたご両親が治療法について意見が夫婦で食い違うと訴えていました。私はいつも通り、「ご両親がそうやって患児の前で病気のことで言い争うことが、アトピー以上にこの子の心を傷つけるんですよ」といったアドバイスをしていたのですが、不意に涙が流れて止まらなくなりました。当時、自分にも子供がいて、仕事とストレスのため顧みる余裕がありませんでした。家庭は崩壊寸前だったし、その後本当に崩壊しました。その自分がさも立派そうに、親としての心構えを説いている、こんな偽善ってあるだろうか?ずっと自分の中で押し殺していたものが、感情として涙となって流れたのだと思います。
2000年(平成12年)のことでした。ほどなく私は「過労による抑鬱状態」の診断のもと、3ヶ月間病休を取りました。
平成14年に訴えられた脱ステ医は、私も良く知っている方です。リバウンドの最中に40度の発熱があって、もしも私が元気だったら、遠方ではありましたが、金沢よりは近いですから、入院患者として受け入れていれば、こんな結果にはならなかったかもしれません。そう思うと悔やまれます。
そのあと、2003年(平成15年)になって、もう限界と感じて、私は国立病院を退職しました。退職後、アトピー脱ステの仕事を続ける気にはなりませんでした。理由は、
1)敗血症疑いのときに紹介できる病院が近隣にない、
2)脱ステロイドは経済的採算性が悪い、
3)平成14年の訴訟は平成15年当時まだ判決は出ていなかったが、皮膚科学会の権威筋が寄ってたかって脱ステ医を悪者にしたてるだろうから敗訴だろう。するとそれ以降の脱ステ診療は、医師からみて、訴訟リスクが格段に高まる。
4)以上をものともせず、脱ステロイドの臨床を続けて患者に寄り添い続ける気力が自分にはない。
です。
さらに付言すると、
5)アトピー脱ステに、医者、少なくとも入院設備も敗血症管理も出来ない環境にある開業医というのは不要なんじゃないか?
という懐疑もありました。それは、私が3ヶ月間病休を取ったあと、外来で再会した患者たちを診て思ったことです。3ヶ月と言う時間経過の分良くなってはいましたが、私が診ないことで悪くなった患者はいませんでした。
それで考えに考えた挙句、皮膚科出身だし、もともと手先は器用で小外科手術に向いていると思ったから美容外科・美容皮膚科に転向して開業したわけです。それがたまたま時流に乗ったのですが、これだけ流行るとは本当に思ってもみませんでした。
最近ようやく治まってきましたが、「悲しみ発作」は長く続きました。アトピーの話をしたり、アトピー患者を前にするだけで、不意に強い悲しみに襲われて涙が流れてくるのです。患者が不憫なのではないです。当時押し殺していた辛い経験が条件反射的に無意識から現れるのだと思います。
脱線話ばかりで恐縮ですが、「アトピー覚書」に紹介された二つの訴訟から当時の私が考えたことは、
1)医師が脱ステロイドを行う訴訟リスクが、この二つで非常に高くなってしまったな、ということと、
2)脱ステを旗印として開業医をするならば、発熱で敗血症疑った場合の紹介先を確保しておいたほうがいい、ということです。
1)は、若手が脱ステ診療に関わろうとしない大きな理由であろうし、2)は紹介先の医師から当の患者に、自分の悪口をさんざん言われる覚悟が必要でしょう。そのようなストレスにもめげず、脱ステ患者に寄り添う先生方と言うのは、本当の医師なんだと思います。
そういう「本当の医師」って、脱ステの現場に関わらず、確かに存在するんですよ。救急とかお産とか、リスクをものともせず、いったい自分にとってどんなメリットがあって、あんな辛そうな仕事続けてるんだろう?私のように美容とか楽な仕事にシフトも出来るだろうに、って感じる医師たちです。
私たちに出来ることは、そういう医師たちに対して、背後から拝んで感謝することだけです。過度に褒め称えてはいけません。それは実質的には他の医師たちに真似しろと過労を迫るようなものだし(だから私は医療ドラマが嫌いです)、何より、その医師が心が折れたり疲れたりしたときに転向できなくなるじゃないですか。それは患者(一般人)が自分たちの都合のために無意識に行う暴力・脅迫ってやつです。ただただ、後ろから静かに拝みましょう。
久しぶりに雑感を書きました。医師からの視点なので、必ずしも共感できない部分もあるでしょうが、理解を助けるためになるべく本音で書きました。ご参考までに。
(H29.9.25)
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