1997年のドキュメンタリー番組・その1
---(クリックすると動画へジャンプします。30分の番組が1/3、2/3、3/3と3つに割られています。)---
しのびよる薬害!?~急増するアトピー重症患者~NNNドキュメント97(1/3)
しのびよる薬害!?~急増するアトピー重症患者~NNNドキュメント97(2/3)
しのびよる薬害!?~急増するアトピー重症患者~NNNドキュメント97(3/3)
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ここに紹介するのは、文献ではなく、97年に放映されたテレビのドキュメンタリー番組です。脱ステロイドのリバウンドの極期の様子が動画で記録されており、貴重なものです。 わたしと当時の入院患者とが取材協力しています。
冒頭から何度か登場する「清水さん」(氷嚢で顔を冷やしているひと)、「三重県に住む情報センター会員の男性」、女性患者の「高橋さん」がそうです。当時入院していた患者さん(7~8人くらい)に、直接テレビ局のプロデューサーに交渉してもらって、出演に了承いただいた方たちであったと記憶しています。
多くの患者はこういった形でテレビに登場するのを嫌がりますし、そもそも外来で写真を撮られるのさえ嫌がるかたも多いです。それでも、訴えたい、わかって欲しいという気持ちが強くて協力してくださったのだろうと思います。
大阪の患者団体である「情報センター」のキャンプの様子も撮影されています。わたしの患者ではなく、面識もありませんが、この患者さんたちもまた、同じ思いであっただろうと察します。
どうか、その気持ちを汲んで、動画を見て、話を聞いてあげてください。
そして、治療のためと思って外用してきたステロイドの依存性の被害に見舞われたときの、辛さ、苦しさを、ほんの少しでもいいですから、わかってあげて下さい。
「清水さん」は、その後数年かけて、何度か入院を繰り返しましたが、ほぼ略治しました。ときどき病院に来てくれて、入院患者たちに「テレビに出てたあの『清水さん』ですか!?あれだけ腫れ上がっていた皮膚が、こんなに綺麗になるんですねえ」と感心されてご満悦でした。トラックの運転手の仕事にも復帰したはずです。
三重県の患者さんも、退院後外来でゆっくりとよくなりました。じくじくした肉芽様の部分は最後まで残りましたが、それも乾燥して平坦になって「時間をかければ良くなるものだね」と2人で感心した記憶があります。
「高橋さん」も結婚されて幸せになりました。湿疹が治まって綺麗になった顔での、外来診察室でのわたしとのツーショットの写真が残っています。記憶がはっきりとしないのですが、退院して何年もしてから、外来にたまたまいらっしゃって、そのときの良くなった記念写真じゃないかと思います。
この取材の3年後、わたしは過労で倒れて病気休暇をとり、さらにその2年後に退職しました。
この3人の方々にしても、この取材当時入院中で、将来本当によくなるかどうか、保証があったわけではないです。絶対の保証があるわけではないのに、「大丈夫、あなたは良くなる」と言うこと、言わなければならないことの重責・ストレスは、わたしの心をいつの間にか追い詰めました。
今でも、こうして昔の患者たちの写真や動画を見ると、この3人にしろ、最後に私が記憶している時点では良くなっていたが、その後も良い状態で続いているだろうか?わたしは、嘘をついていなかっただろうか?と苦しくなります。
1997年当時というのは、このブログで紹介しているような文献は、まだほとんど出ておらず、Kligmanなど、古い総説的な文献のわずかな記載が、わたしにとっての精神的な頼りでした。
ステロイド依存症とか脱ステロイドというものを、「非科学的」と決め付けて、「アトピービジネスに根拠を与えるものだ」とする先生がたのほうに分がありました。
しかし、この13年前のドキュメンタリーを見直すと、患者の訴えていることは、13年前から変わってないのだな、ということがよくわかります。
文献に記されていなくても、これだけ多くの患者が似たことを訴え、13年経っても変わっていないということは、そこに真実があるからでしょう。
いつかは、皮膚科がこの問題に真正面から取り組む日が来ると、信じます。
2010.06.03
しのびよる薬害!?~急増するアトピー重症患者~NNNドキュメント97(1/3)
しのびよる薬害!?~急増するアトピー重症患者~NNNドキュメント97(2/3)
しのびよる薬害!?~急増するアトピー重症患者~NNNドキュメント97(3/3)
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ここに紹介するのは、文献ではなく、97年に放映されたテレビのドキュメンタリー番組です。脱ステロイドのリバウンドの極期の様子が動画で記録されており、貴重なものです。 わたしと当時の入院患者とが取材協力しています。
冒頭から何度か登場する「清水さん」(氷嚢で顔を冷やしているひと)、「三重県に住む情報センター会員の男性」、女性患者の「高橋さん」がそうです。当時入院していた患者さん(7~8人くらい)に、直接テレビ局のプロデューサーに交渉してもらって、出演に了承いただいた方たちであったと記憶しています。
多くの患者はこういった形でテレビに登場するのを嫌がりますし、そもそも外来で写真を撮られるのさえ嫌がるかたも多いです。それでも、訴えたい、わかって欲しいという気持ちが強くて協力してくださったのだろうと思います。
大阪の患者団体である「情報センター」のキャンプの様子も撮影されています。わたしの患者ではなく、面識もありませんが、この患者さんたちもまた、同じ思いであっただろうと察します。
どうか、その気持ちを汲んで、動画を見て、話を聞いてあげてください。
そして、治療のためと思って外用してきたステロイドの依存性の被害に見舞われたときの、辛さ、苦しさを、ほんの少しでもいいですから、わかってあげて下さい。
「清水さん」は、その後数年かけて、何度か入院を繰り返しましたが、ほぼ略治しました。ときどき病院に来てくれて、入院患者たちに「テレビに出てたあの『清水さん』ですか!?あれだけ腫れ上がっていた皮膚が、こんなに綺麗になるんですねえ」と感心されてご満悦でした。トラックの運転手の仕事にも復帰したはずです。
三重県の患者さんも、退院後外来でゆっくりとよくなりました。じくじくした肉芽様の部分は最後まで残りましたが、それも乾燥して平坦になって「時間をかければ良くなるものだね」と2人で感心した記憶があります。
「高橋さん」も結婚されて幸せになりました。湿疹が治まって綺麗になった顔での、外来診察室でのわたしとのツーショットの写真が残っています。記憶がはっきりとしないのですが、退院して何年もしてから、外来にたまたまいらっしゃって、そのときの良くなった記念写真じゃないかと思います。
この取材の3年後、わたしは過労で倒れて病気休暇をとり、さらにその2年後に退職しました。
この3人の方々にしても、この取材当時入院中で、将来本当によくなるかどうか、保証があったわけではないです。絶対の保証があるわけではないのに、「大丈夫、あなたは良くなる」と言うこと、言わなければならないことの重責・ストレスは、わたしの心をいつの間にか追い詰めました。
今でも、こうして昔の患者たちの写真や動画を見ると、この3人にしろ、最後に私が記憶している時点では良くなっていたが、その後も良い状態で続いているだろうか?わたしは、嘘をついていなかっただろうか?と苦しくなります。
1997年当時というのは、このブログで紹介しているような文献は、まだほとんど出ておらず、Kligmanなど、古い総説的な文献のわずかな記載が、わたしにとっての精神的な頼りでした。
ステロイド依存症とか脱ステロイドというものを、「非科学的」と決め付けて、「アトピービジネスに根拠を与えるものだ」とする先生がたのほうに分がありました。
しかし、この13年前のドキュメンタリーを見直すと、患者の訴えていることは、13年前から変わってないのだな、ということがよくわかります。
文献に記されていなくても、これだけ多くの患者が似たことを訴え、13年経っても変わっていないということは、そこに真実があるからでしょう。
いつかは、皮膚科がこの問題に真正面から取り組む日が来ると、信じます。
2010.06.03