医師に過失がなくてもステロイド皮膚症には陥るー川崎ステロイド訴訟(3)
判決文には、当然、原告も被告も実名で記されているのですが、これらは、道義上、本人の了解なしに勝手に引用すべきではないと思います。
しかし、それ以外の、すなわち鑑定人や証人が誰であったかを記すことは、その鑑定や証言の信頼性を考える上でも、むしろ必要なことだと私は考えます(出身医局などから関係性が解りやすくなるということ)。名誉を毀損するとも思えません。ですから、以下では、原告被告以外は、判決文の通り、実名で記します。
「D大学病院」ですが、これは北里大学病院です。
原告の「Sさん」が、北里大学病院皮膚科を受診した理由はこちらに記載があります。
―――――(ここから引用)―――――
薬を塗り続けても、常に顔はただれ、酷い状態が続いた。
ある朝、思わず悲鳴を上げてしまうような状態になっていた。顔全体から汁が出て、火傷して真っ赤になった上に、蜂蜜を塗りたくったような状態だった。これでは会社に行けない、大きな病院で見てもらおうと思った。
―――――(ここまで引用)―――――
判決文には、「北里大学病院膚科における診療経過」として、以下のようにまとめられています。
―――――(ここから引用)―――――
ア 原告は,皮膚症状が改善されなかったので,昭和63年9月26日,北里大学病院皮膚科で診察を受けた。初診時,眼瞼の浮腫,顔面の潮紅,頚部および両上肢の肘窩部に苔癬化が認められたほか,両下肢の膝関節の裏側に掻痕及び丘疹が認められ,顔面と両上肢の症状は特に悪化していた。その際,原告は,身体用の薬剤を顔面にも塗布していた旨の説明をした。原告を診察した竹崎医師は,主としてアトピー性皮膚炎の症状が強く出ていたほか,[ステロイド酒さ」の所見(顔面潮紅)が認められると診断し,キンダベート軟膏(ステロイド外用剤),ポララミン(抗ヒスタミン剤)などを処方した。そして,治療方針が決まれば,通院に便利なE皮膚科に転院指導することにした。同日行われた検査によれば,IgEの数値が高く,アレルギーの程度が高いことが認められた。また,LDH(乳酸脱水素酵素)の数値がかなり上がっており,アトピー性皮膚炎の症状がかなり広範囲に強くあることが示唆された。
イ 同年10月7日,顔面の皮膚症状は悪化し,熱感,腫脹,発赤,痒みが認められ,傷病名として伝染性膿痂疹,毛のう炎が加わった。そして,より強いリゾメックス(ステロイド外用剤),ワセリンボチ(非ステロイド剤)などが処方された。なお,原告は,担当医から,入院を勧められた。
ウ 同月17日,顔面が腫れ, 湿疹症状が悪化し, 膿痂疹が認められたが,酒さ様皮膚炎は認められなかった。原告に対し,オラセフ,ポララミン,セレスタミン(ステロイド剤と抗ヒスタミン剤との混合剤)などが処方された。この日も,原告は,入院を勧められた。
エ 同月24日,顔面の皮膚症状は,腫れが引いて良くなり,二次感染も軽快したので,セレスタミンが4錠から2錠に減量された。
オ 同月28日,皮膚症状は良くなり,乾燥するようになったので,抗生剤の処力は中止され,セレスタミンは2錠から1錠に減量された。
カ 同年11月8日,血液中のアレルギー検査がなされた。その結果,ダニがスリープラス,ネコ,杉,小麦がツープラスであった。
キ 同月15日,ポララミン,リンデロンDP軟膏(ステロイド外用剤)とウレパール軟膏の混合薬,リドメックス軟膏,オリーブ油が処方された。 原告を診察した衛藤医師は,原告の症状が軽快したので,原告をE皮膚科に紹介した。同医師の作成した紹介状には,「一時悪化していましたが現在下記処方で軽快しております。」「ポララミン12ミリグラム2掛け1,リンデロンDP軟膏1対1の混合,これを身体用,なお,ラストではダニ1+3,ネコ,スギ,コムギ2+,ほか多数+です。よろしくフォローして下さい。」と記載されていた。
(以上につき,甲5,証人衛藤,原告)
―――――(ここまで引用)―――――
そして、判決文には、「被告Eの責任について」として、下記のように記載されています。
―――――(ここから引用)―――――
・・・昭和63年9月26日に北里大学病院皮膚科で診察を受けた際,担当医師から,アトピー性皮膚炎,ステロイド酒さと診断されていることが認められる。
しかしながら,北里大学病院皮膚科におけるその後の経過をみるに,原告は,同年11月15日まで通院して治療を受けているが,初診時以外には,「ステロイド酒さ」の症状はなく,この期間中,ステロイド外用剤を処方されたこと,また,この症状は非常に軽いものであり,最終診療日にはまったく心配のいらない状態になっていたこと(証人衛藤医師),北里大学病院皮膚科作成の同日付けのE皮膚科あての紹介状には,一時悪化していたが,現在はリンデロンDPなどの処方により軽快している旨の記戟がなされているものの,ステロイド外用剤の副作用をうかがわせる記載がないこと(乙D1),E皮膚科における初診当時,顔面の乾燥状態が非常に強く認められるところ,これは酒さ様皮膚炎ではあり得ない高度の乾燥状態である上,E皮膚科に通院期間中,原告の顔面には浮腫が認められたが,酒さ様皮膚炎は,境界鮮明な浮腫を伴った紅斑上に多発の膿庖が見られ,強い灼熱感を伴うのが通常であり,これらを総合して診断すべきところ,E皮膚科に通院期間中,原告の顔面に膿庖がない上,顔面の浮腫はアトピー性皮膚炎の顔面の急性炎症の症状として通常見られるものであるから,浮腫の存在のみで酒さ様皮膚炎の存在を診断すべきでないこと(鑑定の結果)などからすると,原告がE皮膚科で通院していた期間中にステロイド外用剤の副作用である酒さ様皮膚炎が生じたと認めることはできない。
―――――(ここまで引用)―――――
私は、下線部が、非常におかしいと感じます。なぜなら、「ステロイド酒さ」が、それがどんなに軽いものであっても、このような短期間で軽快するということは有り得ないからです。傍聴していた方によるメモがあります(→こちら)。
―――――(ここから引用)―――――
参考人として出廷した 4番目に通院したK大学病院のE医師の陳述ーーアトピーの時は、ステロイド酒さは起きない??ーー
E医師によると、Sさんはアトピー性皮膚炎が主体で、そこに軽いステロイド酒さ(ステロイドの副作用)が加わっていたと言う。
別の回の公判で、やはり参考人として出廷した同K大学のN名誉教授(皮膚科著書多数、皮膚科の権威と言って良いだろう)が、
「副作用が出始めたら、ステロイド外用剤を中止する。」
という事を述べている。
しかし、Sさんは、この病院でもずっとステロイドを塗り続けている。
E医師は、
「アトピーの症状が強い時に、強めのステロイド外用剤を塗ってもステロイド酒さは起きない。症状が良くなっても外用剤を続けて塗っていると、ステロイド酒さが起きやすい。」
と言っている。
次の医師への紹介状では、ステロイド酒さの記載はなく、ステロイド酒さは無くなったのだの言う。ステロイドを抜かなくても、ステロイド酒さが無くなってしまうという例があるんですか、と聞かれて、E医師は、
「それはよくあります。」
と答えた。
又、別のある医師の本に 、「ステロイドは強いのを短期間使っても、副作用は出ないが、弱いのでも同一部位に長期続けると、副作用が出る。」と書かれている。これに対する意見を聞かれてE医師は、「前半は正しいが、後半は間違っている。」と答えた。
ほー、そうなんですか……?
―――――(ここまで引用)―――――
下線部の、衛藤医師の真意を、私なりに解釈すると、「ステロイド酒さに、より強いステロイドを外用すると、その間は、症状は一見消えてしまう」ことを言っているのだと思います。しかし、それはもちろん、同時にステロイド酒さを深刻化させるものです。次にステロイドのランクを下げようとしたときには、より強いリバウンドに見舞われることになるからです。非常に苦しい証言です。
しかし、それ以外の、すなわち鑑定人や証人が誰であったかを記すことは、その鑑定や証言の信頼性を考える上でも、むしろ必要なことだと私は考えます(出身医局などから関係性が解りやすくなるということ)。名誉を毀損するとも思えません。ですから、以下では、原告被告以外は、判決文の通り、実名で記します。
「D大学病院」ですが、これは北里大学病院です。
原告の「Sさん」が、北里大学病院皮膚科を受診した理由はこちらに記載があります。
―――――(ここから引用)―――――
薬を塗り続けても、常に顔はただれ、酷い状態が続いた。
ある朝、思わず悲鳴を上げてしまうような状態になっていた。顔全体から汁が出て、火傷して真っ赤になった上に、蜂蜜を塗りたくったような状態だった。これでは会社に行けない、大きな病院で見てもらおうと思った。
―――――(ここまで引用)―――――
判決文には、「北里大学病院膚科における診療経過」として、以下のようにまとめられています。
―――――(ここから引用)―――――
ア 原告は,皮膚症状が改善されなかったので,昭和63年9月26日,北里大学病院皮膚科で診察を受けた。初診時,眼瞼の浮腫,顔面の潮紅,頚部および両上肢の肘窩部に苔癬化が認められたほか,両下肢の膝関節の裏側に掻痕及び丘疹が認められ,顔面と両上肢の症状は特に悪化していた。その際,原告は,身体用の薬剤を顔面にも塗布していた旨の説明をした。原告を診察した竹崎医師は,主としてアトピー性皮膚炎の症状が強く出ていたほか,[ステロイド酒さ」の所見(顔面潮紅)が認められると診断し,キンダベート軟膏(ステロイド外用剤),ポララミン(抗ヒスタミン剤)などを処方した。そして,治療方針が決まれば,通院に便利なE皮膚科に転院指導することにした。同日行われた検査によれば,IgEの数値が高く,アレルギーの程度が高いことが認められた。また,LDH(乳酸脱水素酵素)の数値がかなり上がっており,アトピー性皮膚炎の症状がかなり広範囲に強くあることが示唆された。
イ 同年10月7日,顔面の皮膚症状は悪化し,熱感,腫脹,発赤,痒みが認められ,傷病名として伝染性膿痂疹,毛のう炎が加わった。そして,より強いリゾメックス(ステロイド外用剤),ワセリンボチ(非ステロイド剤)などが処方された。なお,原告は,担当医から,入院を勧められた。
ウ 同月17日,顔面が腫れ, 湿疹症状が悪化し, 膿痂疹が認められたが,酒さ様皮膚炎は認められなかった。原告に対し,オラセフ,ポララミン,セレスタミン(ステロイド剤と抗ヒスタミン剤との混合剤)などが処方された。この日も,原告は,入院を勧められた。
エ 同月24日,顔面の皮膚症状は,腫れが引いて良くなり,二次感染も軽快したので,セレスタミンが4錠から2錠に減量された。
オ 同月28日,皮膚症状は良くなり,乾燥するようになったので,抗生剤の処力は中止され,セレスタミンは2錠から1錠に減量された。
カ 同年11月8日,血液中のアレルギー検査がなされた。その結果,ダニがスリープラス,ネコ,杉,小麦がツープラスであった。
キ 同月15日,ポララミン,リンデロンDP軟膏(ステロイド外用剤)とウレパール軟膏の混合薬,リドメックス軟膏,オリーブ油が処方された。 原告を診察した衛藤医師は,原告の症状が軽快したので,原告をE皮膚科に紹介した。同医師の作成した紹介状には,「一時悪化していましたが現在下記処方で軽快しております。」「ポララミン12ミリグラム2掛け1,リンデロンDP軟膏1対1の混合,これを身体用,なお,ラストではダニ1+3,ネコ,スギ,コムギ2+,ほか多数+です。よろしくフォローして下さい。」と記載されていた。
(以上につき,甲5,証人衛藤,原告)
―――――(ここまで引用)―――――
そして、判決文には、「被告Eの責任について」として、下記のように記載されています。
―――――(ここから引用)―――――
・・・昭和63年9月26日に北里大学病院皮膚科で診察を受けた際,担当医師から,アトピー性皮膚炎,ステロイド酒さと診断されていることが認められる。
しかしながら,北里大学病院皮膚科におけるその後の経過をみるに,原告は,同年11月15日まで通院して治療を受けているが,初診時以外には,「ステロイド酒さ」の症状はなく,この期間中,ステロイド外用剤を処方されたこと,また,この症状は非常に軽いものであり,最終診療日にはまったく心配のいらない状態になっていたこと(証人衛藤医師),北里大学病院皮膚科作成の同日付けのE皮膚科あての紹介状には,一時悪化していたが,現在はリンデロンDPなどの処方により軽快している旨の記戟がなされているものの,ステロイド外用剤の副作用をうかがわせる記載がないこと(乙D1),E皮膚科における初診当時,顔面の乾燥状態が非常に強く認められるところ,これは酒さ様皮膚炎ではあり得ない高度の乾燥状態である上,E皮膚科に通院期間中,原告の顔面には浮腫が認められたが,酒さ様皮膚炎は,境界鮮明な浮腫を伴った紅斑上に多発の膿庖が見られ,強い灼熱感を伴うのが通常であり,これらを総合して診断すべきところ,E皮膚科に通院期間中,原告の顔面に膿庖がない上,顔面の浮腫はアトピー性皮膚炎の顔面の急性炎症の症状として通常見られるものであるから,浮腫の存在のみで酒さ様皮膚炎の存在を診断すべきでないこと(鑑定の結果)などからすると,原告がE皮膚科で通院していた期間中にステロイド外用剤の副作用である酒さ様皮膚炎が生じたと認めることはできない。
―――――(ここまで引用)―――――
私は、下線部が、非常におかしいと感じます。なぜなら、「ステロイド酒さ」が、それがどんなに軽いものであっても、このような短期間で軽快するということは有り得ないからです。傍聴していた方によるメモがあります(→こちら)。
―――――(ここから引用)―――――
参考人として出廷した 4番目に通院したK大学病院のE医師の陳述ーーアトピーの時は、ステロイド酒さは起きない??ーー
E医師によると、Sさんはアトピー性皮膚炎が主体で、そこに軽いステロイド酒さ(ステロイドの副作用)が加わっていたと言う。
別の回の公判で、やはり参考人として出廷した同K大学のN名誉教授(皮膚科著書多数、皮膚科の権威と言って良いだろう)が、
「副作用が出始めたら、ステロイド外用剤を中止する。」
という事を述べている。
しかし、Sさんは、この病院でもずっとステロイドを塗り続けている。
E医師は、
「アトピーの症状が強い時に、強めのステロイド外用剤を塗ってもステロイド酒さは起きない。症状が良くなっても外用剤を続けて塗っていると、ステロイド酒さが起きやすい。」
と言っている。
次の医師への紹介状では、ステロイド酒さの記載はなく、ステロイド酒さは無くなったのだの言う。ステロイドを抜かなくても、ステロイド酒さが無くなってしまうという例があるんですか、と聞かれて、E医師は、
「それはよくあります。」
と答えた。
又、別のある医師の本に 、「ステロイドは強いのを短期間使っても、副作用は出ないが、弱いのでも同一部位に長期続けると、副作用が出る。」と書かれている。これに対する意見を聞かれてE医師は、「前半は正しいが、後半は間違っている。」と答えた。
ほー、そうなんですか……?
―――――(ここまで引用)―――――
下線部の、衛藤医師の真意を、私なりに解釈すると、「ステロイド酒さに、より強いステロイドを外用すると、その間は、症状は一見消えてしまう」ことを言っているのだと思います。しかし、それはもちろん、同時にステロイド酒さを深刻化させるものです。次にステロイドのランクを下げようとしたときには、より強いリバウンドに見舞われることになるからです。非常に苦しい証言です。
「同K大学のN名誉教授」は、北里大学の西山茂夫教授のことを指しています。Sさんが北里大学を受診した1990年当時は、たしか西山先生は現役の教授でした。上記HP記事が書かれたのは1997年だから、その時点では退官していて名誉教授であったということでしょう。
北里大学の初診時に「ステロイド酒さ」と診断した竹崎医師は、たぶん竹崎伸一郎医師でしょう。1975年東京大学卒です。衛藤光医師は1976年北里大学卒業で、西山茂夫医師は1930年生すなわち、たぶん1954頃の東京大学卒業。鑑定人の川島真医師は1978年の東京大学卒業です。
何が言いたいかというと、西山茂夫先生が教授であった当時の北里大学皮膚科は、東京大学とのつながりが非常に強く、北里大学病院皮膚科の西山茂夫教授の同門後輩であった川島教授は、この訴訟における鑑定人として適切とは言えなかったと私は感じる、ということです。 北里大学は被告ではないが、被告のE皮膚科のF医師の母校が北里大学で、その関係で原告の紹介を受けたからです。
そして、判決は、先回記した川島鑑定によって、「E皮膚科に通院期間中,原告の顔面に膿庖がない上,顔面の浮腫はアトピー性皮膚炎の顔面の急性炎症の症状として通常見られるものであるから,浮腫の存在のみで酒さ様皮膚炎の存在を診断すべきでないこと(鑑定の結果)などからすると,原告がE皮膚科で通院していた期間中にステロイド外用剤の副作用である酒さ様皮膚炎が生じたと認めることはできない。」ということになりました。
裁判所は、先回まとめた、
①顔面へのステロイド外用の副作用で中止後リバウンドを経てよくなってしまうとすれば、それは『狭義の酒さ様皮膚炎』であって、そのためには膿疱が必須条件だ。
②膿疱を伴わない悪化や軽快は、全てアトピー性皮膚炎の悪化や軽快である。
③アトピー性皮膚炎の顔に膿疱が出来た場合は、酒さ様皮膚炎ではなく、毛のう炎を第一に疑うべきである。
という、アトピー性皮膚炎で酒さ様皮膚炎を診断することは、ほとんど不可能に近いとも言える「川島基準」に従いました。
これは、医学的・皮膚科学的に「間違っている」とまでは言えない。ぎりぎりの考え方です。「アトピー性皮膚炎の時はステロイド酒さは起きない」のではなく、「アトピー性皮膚炎ではステロイド酒さの診断が難しい」のです。にも関わらず、初診時に「ステロイド酒さ」と診断が付けれたということは、これは余程重症だったのでしょう。
「酒さ様皮膚炎」は副作用です。副作用というのは、疑わしい場合は、基準を広くとるべきです。「川島基準」は、ステロイド酒さの基準をぎりぎりまで狭くして、副作用が網にかかりにくくしたものであり、これでは「酒さ様皮膚炎」の診断名の存在意味が無くなってしまいます。
ニュースステーションの報道を一般向けの書籍で繰り返し叩いて、誤情報を世間に広めた(→こちら)、金沢大学の竹原教授が、川崎ステロイド訴訟については、著書でまったく触れてもいないのは、非常に不自然です。竹原医師は、京都の江崎ひろこ氏が起こした訴訟については繰り返し批判的に記しています。 竹原教授もまた、東京大学の1979年卒業であり、医局の大先輩の西山教授の教室が関わった、この非常に突っ込み所の多い訴訟を、できれば封印してしまいのでしょう。ひょっとしたら、そういう思いの強さのあまり、あれだけ執拗な「ニュースセンターの久米宏批判」 になったのかもしれません。川崎ステロイド訴訟の原告が出演していた番組だからです。それで最初に「私なりに合点がいった気持ちになった」と記しました。
仮定の話を、いまさら記してもしょうがないですが、もしもSさんが、E皮膚科を訴えずに、BクリニックとC皮膚科のみを訴えていたならば、どのような判決になっていたでしょうか。北里大学では、初診時に「ステロイド酒さ」の診断はついており、Sさんへの説明は不十分であったにせよ、それ以降の一連の流れは、ステロイド離脱へと向かっています。カルテ保全は北里大学にもなされて、しかし北里を被告に加えなかったのですから、E皮膚科をも被告に加えないという選択肢もあったと思います。 衛藤医師も苦しい証言をせずに済んだかもしれません。自分が紹介した先の後輩が訴えられたとあっては、そりゃあ、人情として、F医師擁護の側に気持ちは傾くでしょう。
しかし、物は考えようで、あえてE皮膚科を被告に加えたことで、敗訴という結果ではありましたが、当時の医局や医師のつながりという、一般の非医師の方々には、なかなか見えない、わからないものを、浮き彫りにして、こうして判決文として記録することには成功した、とも言えます。
訴額は200万×3=600万円ですが、600万円とこの興味深い判決文や鑑定書・証言とどちらを選ぶかと言われると、うーん、難しいところですね。
追記)
判決文中、「北里大学皮膚科の治療方針が、なるべくステロイドを使用しないことになった」とありますが、このころの状況については、西岡清先生(1986年、大阪大から北里大助教授に就任、その後1990年から東京医科歯科大教授)のエッセイに記されています(→こちら)。
1986年当時すでに、ステロイド外用治療に抵抗するアトピー性皮膚炎が、北里大に多く集まっていたことが判ります。
2012.11.07
北里大学の初診時に「ステロイド酒さ」と診断した竹崎医師は、たぶん竹崎伸一郎医師でしょう。1975年東京大学卒です。衛藤光医師は1976年北里大学卒業で、西山茂夫医師は1930年生すなわち、たぶん1954頃の東京大学卒業。鑑定人の川島真医師は1978年の東京大学卒業です。
何が言いたいかというと、西山茂夫先生が教授であった当時の北里大学皮膚科は、東京大学とのつながりが非常に強く、北里大学病院皮膚科の西山茂夫教授の同門後輩であった川島教授は、この訴訟における鑑定人として適切とは言えなかったと私は感じる、ということです。 北里大学は被告ではないが、被告のE皮膚科のF医師の母校が北里大学で、その関係で原告の紹介を受けたからです。
そして、判決は、先回記した川島鑑定によって、「E皮膚科に通院期間中,原告の顔面に膿庖がない上,顔面の浮腫はアトピー性皮膚炎の顔面の急性炎症の症状として通常見られるものであるから,浮腫の存在のみで酒さ様皮膚炎の存在を診断すべきでないこと(鑑定の結果)などからすると,原告がE皮膚科で通院していた期間中にステロイド外用剤の副作用である酒さ様皮膚炎が生じたと認めることはできない。」ということになりました。
裁判所は、先回まとめた、
①顔面へのステロイド外用の副作用で中止後リバウンドを経てよくなってしまうとすれば、それは『狭義の酒さ様皮膚炎』であって、そのためには膿疱が必須条件だ。
②膿疱を伴わない悪化や軽快は、全てアトピー性皮膚炎の悪化や軽快である。
③アトピー性皮膚炎の顔に膿疱が出来た場合は、酒さ様皮膚炎ではなく、毛のう炎を第一に疑うべきである。
という、アトピー性皮膚炎で酒さ様皮膚炎を診断することは、ほとんど不可能に近いとも言える「川島基準」に従いました。
これは、医学的・皮膚科学的に「間違っている」とまでは言えない。ぎりぎりの考え方です。「アトピー性皮膚炎の時はステロイド酒さは起きない」のではなく、「アトピー性皮膚炎ではステロイド酒さの診断が難しい」のです。にも関わらず、初診時に「ステロイド酒さ」と診断が付けれたということは、これは余程重症だったのでしょう。
「酒さ様皮膚炎」は副作用です。副作用というのは、疑わしい場合は、基準を広くとるべきです。「川島基準」は、ステロイド酒さの基準をぎりぎりまで狭くして、副作用が網にかかりにくくしたものであり、これでは「酒さ様皮膚炎」の診断名の存在意味が無くなってしまいます。
ニュースステーションの報道を一般向けの書籍で繰り返し叩いて、誤情報を世間に広めた(→こちら)、金沢大学の竹原教授が、川崎ステロイド訴訟については、著書でまったく触れてもいないのは、非常に不自然です。竹原医師は、京都の江崎ひろこ氏が起こした訴訟については繰り返し批判的に記しています。 竹原教授もまた、東京大学の1979年卒業であり、医局の大先輩の西山教授の教室が関わった、この非常に突っ込み所の多い訴訟を、できれば封印してしまいのでしょう。ひょっとしたら、そういう思いの強さのあまり、あれだけ執拗な「ニュースセンターの久米宏批判」 になったのかもしれません。川崎ステロイド訴訟の原告が出演していた番組だからです。それで最初に「私なりに合点がいった気持ちになった」と記しました。
仮定の話を、いまさら記してもしょうがないですが、もしもSさんが、E皮膚科を訴えずに、BクリニックとC皮膚科のみを訴えていたならば、どのような判決になっていたでしょうか。北里大学では、初診時に「ステロイド酒さ」の診断はついており、Sさんへの説明は不十分であったにせよ、それ以降の一連の流れは、ステロイド離脱へと向かっています。カルテ保全は北里大学にもなされて、しかし北里を被告に加えなかったのですから、E皮膚科をも被告に加えないという選択肢もあったと思います。 衛藤医師も苦しい証言をせずに済んだかもしれません。自分が紹介した先の後輩が訴えられたとあっては、そりゃあ、人情として、F医師擁護の側に気持ちは傾くでしょう。
しかし、物は考えようで、あえてE皮膚科を被告に加えたことで、敗訴という結果ではありましたが、当時の医局や医師のつながりという、一般の非医師の方々には、なかなか見えない、わからないものを、浮き彫りにして、こうして判決文として記録することには成功した、とも言えます。
訴額は200万×3=600万円ですが、600万円とこの興味深い判決文や鑑定書・証言とどちらを選ぶかと言われると、うーん、難しいところですね。
追記)
判決文中、「北里大学皮膚科の治療方針が、なるべくステロイドを使用しないことになった」とありますが、このころの状況については、西岡清先生(1986年、大阪大から北里大助教授に就任、その後1990年から東京医科歯科大教授)のエッセイに記されています(→こちら)。
1986年当時すでに、ステロイド外用治療に抵抗するアトピー性皮膚炎が、北里大に多く集まっていたことが判ります。
2012.11.07