1993年の古江先生のエッセイ
古い皮膚科の雑誌をめくっていて、たまたま見つけた、現九大皮膚科教授の古江先生のエッセイです(当時は山梨大助教授)。短いものなので、全文を書き起こしてみました。
ーーーーー(ここから)-----
「なんで同じ薬なんだ」 古江増隆 皮膚臨床85(9);1391~1392,1993
折にふれて想いだす場面や言葉がある。それはとてもひどい雨の日だった。皮膚科医である妻にも話したことがあると思うので,たしか入局して数年目のことであったと思う。
その個人タクシーの車内は落着いた感じで,窓越しの世界は雨に濡れ暮れなずんでいた。T病院へと告げた私に,こくりと頷いたきりおし黙っていた運ちゃんもあまりの渋滞にしびれをきらしたらしい。「あんた医者かい。」「ええ。」「乾癬ての知ってる?まさか皮膚科の先生じゃねえだろうな。」突然の鋭い質問に私は思わず,「いや違うよ。でも乾癬は知ってるよ。」と答えてしまった。「だろうな。皮膚科じゃみかけなかったもんな。俺あ,めちゃくちゃひどい乾癬でよ。T病院の皮膚科にずいぶん長い間通ったんだよ。」 運ちゃんの話をまとめると,20年ほど前から乾癬が発症し,病院を転々とし最後にわれわれの病院へ数年間通院したようだ。私の入局前のことなので,会ってないはずだと自分のついたうそに悪いと思いながらも少しほっとしていた。でも運ちゃんの顔も手も爪も乾癬の症状は全く無かった。「乾癬はしつこい皮膚病でしょう。でも今はずいぶん良くなったんだ。」「ああ,もうすっかり治っちまったよ。」そうか治療がうまくいったんだと私は心の中でほくそえんだ。もう少し治療経過を聞いてみたくなった。「もともとあまり重症じゃなかったんだ?」「いや,ひどいもんでよ。顔なんか真っ赤でよ。運転してても体から粉をふいて座席が白くなるんだよ。爪もひどくてよ。タクシーをやめようかと思ったけど,他に飯が食えねえしな。」「あんまりまじめに通院しなかったんだ?」「いやいや俺あ, 性格はまじめでよ。2週間に1回ずつちゃんと通ってたよ。」そんなにひどい乾癬がよく完治したなと我が皮膚科医局を誇らしく思った。そして益々どんな治療をしたのか聞きたくなった。「そんなに重症の乾癬がよく治ったね。どうやったのかな。」「結局自分で治したんだよ。」かえってきた答えは予想外のものであった。「どういうことなの。」「俺あ,がっかりしたんだよ。いわれた通りに治療して良くなったり,悪くなったり,結局だんだんひろがるんだよ。でもよ, 一番がっかりしたのはさ, 薬が同じなんだよ。」「乾癬には特効薬がないからどの病院でもだす薬は同じなんですよ。」「いや,そんな意味じゃないんだ。ある時さ,外来で友達になった他の患者さん達と薬のくらべっこをしたのよ。そしたらさみんな同じ薬なんだよ。俺あびっくりしたんだよ。これじゃ治るわけがねえと思ったんだ。内科だったらよ, 胃の薬,心臓の薬,肝臓の薬はみんな違うだろう。湿疹と乾癬の薬がなんで同じ薬なんだ。俺あ,その日から薬をつけるのをやめちまったよ。」先程まで得意げであった私の背筋には冷たいものが走った。どうしたらこんなにきれいになったのという私の質問に, 運ちゃんは堰が切れたようにその後の苦労を話してくれた。彼は家路につきながらいままでの自分の人生を考えた。乾癬のために未婚である。治療法はなく,もうこれ以上広がりようがない程全身に広がっている。あきらめを通り越してむしろ激しい怒りと闘志がわいてきた。相討ちでもいい絶対に治ってみせる。その夜から彼の戦いが始まった。痒みである。掻けば掻くほど増していく痒みである。引っ掻くと皮疹が悪化することも知っている。彼はベッドに両手をくくりつけるようなエ夫をした。皮膚は全体に熱っぽく痒くて痒くて眠れぬ夜が続いた。男泣きに泣いたという。熱がでて体のふしぶしが痛む。薬は全く使用しなかった。おそらく激しいリバウンドあるいは紅皮症だったのだろう。1ヵ月程はシーツや床に鱗屑があふれたという。毎日きれいに洗濯し, ひどい顔をマスクで隠しながら買物にでかけ自炊した。毎日毎晩乾癬を治すことだけを考えた。規則正しく起床し運動をした。幸い次第に体調はよくなってきた。3カ月程するとほとんど鱗屑がでなくなったという。結局仕事は6カ月間休んだ。再びタクシー業をはじめた時には,ところどころに紅斑があるだけで,爪もかなりきれいになっていた。痒みはなかった。病気が体から抜けてしまい, 完治するのではないかと実感したという。
T病院の外来玄関は雨にけむり,日はとっぷりと暮れていた。私は運ちゃんをすっかり尊敬してしまっていた。次第に離れていくタクシーを目で追いながら,緊張に疲れ茫然としていた。その後私の興味や研究は,薬の作用機序や使い方に知らず知らずのうちに傾いているようだ。あの運ちゃんから味わった緊張感を想い出す度に, ステロイドの代りになるいい薬はないかなとついつい考えてしまう。 (1993年5月12日,山梨にて)
-----(ここまで)-----
いろいろと興味深い文章なのですが、まず、たまたまこの記事を読んだ乾癬の患者の方に向けて釘を刺しておきますが、上の「運ちゃん」は、たまたま乾癬にステロイド皮膚症を合併していた方だと考えられます。乾癬の患者がステロイドを止めたら、治ってしまうということでは無いので勘違いしないでください。
ステロイド依存というのは、アトピー性皮膚炎で起きることが多い(→こちら)ですが、ステロイドを長期連用するあらゆる皮膚疾患において、起こりえます。もちろん乾癬でも生じ得ます。
乾癬におけるステロイド皮膚症については、以前まとめました(→こちら)。アメリカ皮膚科学会(AAD)の乾癬治療のガイドラインにおいても、ステロイド外用剤によるタキフィラキシーやリバウンドは言及されています。
また、乾癬については、その後ビタミンD軟膏など、新しい薬や治療法がいくつか出てきました。このことはアトピー性皮膚炎についても言えます。プロトピック軟膏など、ステロイド以外の薬が開発されました。現在では、まだまだステロイドの比率は高いにしろ「乾癬も湿疹(アトピー)も全て同じ薬」では、必ずしもありません。少しずつではありますが、古江先生が夢見たように、疾患毎に違う薬が開発されてきています。
まるで夏目漱石の小説のような上手な文章でいらっしゃるのですが、読後、どうにも引っかかるものがあるので、あえて、突っ込みを入れます。
「先生が『緊張に疲れ茫然として』しまったのは、『なんで同じ薬なんだ』って運ちゃんの言葉に冷や汗をかいたからですか?それとも皮膚科に通うのを止めたら良くなってしまったという、診察室では決して聞く機会の無い、運ちゃんの実体験を聞かされたからですか?」
表題は「なんで同じ薬なんだ」でいいのだろうか?「何で皮膚科に通うのをやめたら良くなったんだ?」のほうが適切ではないでしょうか?
多くの皮膚科医は、ステロイドを止めるとリバウンドが起きるところまでは、かろうじて知っているのですが、その後良くなってしまう例がある(ステロイド依存例)ということに、なかなか気が付かないということを、よく表しているエッセイだと感じました。
2013.03.01
「なんで同じ薬なんだ」 古江増隆 皮膚臨床85(9);1391~1392,1993
折にふれて想いだす場面や言葉がある。それはとてもひどい雨の日だった。皮膚科医である妻にも話したことがあると思うので,たしか入局して数年目のことであったと思う。
その個人タクシーの車内は落着いた感じで,窓越しの世界は雨に濡れ暮れなずんでいた。T病院へと告げた私に,こくりと頷いたきりおし黙っていた運ちゃんもあまりの渋滞にしびれをきらしたらしい。「あんた医者かい。」「ええ。」「乾癬ての知ってる?まさか皮膚科の先生じゃねえだろうな。」突然の鋭い質問に私は思わず,「いや違うよ。でも乾癬は知ってるよ。」と答えてしまった。「だろうな。皮膚科じゃみかけなかったもんな。俺あ,めちゃくちゃひどい乾癬でよ。T病院の皮膚科にずいぶん長い間通ったんだよ。」 運ちゃんの話をまとめると,20年ほど前から乾癬が発症し,病院を転々とし最後にわれわれの病院へ数年間通院したようだ。私の入局前のことなので,会ってないはずだと自分のついたうそに悪いと思いながらも少しほっとしていた。でも運ちゃんの顔も手も爪も乾癬の症状は全く無かった。「乾癬はしつこい皮膚病でしょう。でも今はずいぶん良くなったんだ。」「ああ,もうすっかり治っちまったよ。」そうか治療がうまくいったんだと私は心の中でほくそえんだ。もう少し治療経過を聞いてみたくなった。「もともとあまり重症じゃなかったんだ?」「いや,ひどいもんでよ。顔なんか真っ赤でよ。運転してても体から粉をふいて座席が白くなるんだよ。爪もひどくてよ。タクシーをやめようかと思ったけど,他に飯が食えねえしな。」「あんまりまじめに通院しなかったんだ?」「いやいや俺あ, 性格はまじめでよ。2週間に1回ずつちゃんと通ってたよ。」そんなにひどい乾癬がよく完治したなと我が皮膚科医局を誇らしく思った。そして益々どんな治療をしたのか聞きたくなった。「そんなに重症の乾癬がよく治ったね。どうやったのかな。」「結局自分で治したんだよ。」かえってきた答えは予想外のものであった。「どういうことなの。」「俺あ,がっかりしたんだよ。いわれた通りに治療して良くなったり,悪くなったり,結局だんだんひろがるんだよ。でもよ, 一番がっかりしたのはさ, 薬が同じなんだよ。」「乾癬には特効薬がないからどの病院でもだす薬は同じなんですよ。」「いや,そんな意味じゃないんだ。ある時さ,外来で友達になった他の患者さん達と薬のくらべっこをしたのよ。そしたらさみんな同じ薬なんだよ。俺あびっくりしたんだよ。これじゃ治るわけがねえと思ったんだ。内科だったらよ, 胃の薬,心臓の薬,肝臓の薬はみんな違うだろう。湿疹と乾癬の薬がなんで同じ薬なんだ。俺あ,その日から薬をつけるのをやめちまったよ。」先程まで得意げであった私の背筋には冷たいものが走った。どうしたらこんなにきれいになったのという私の質問に, 運ちゃんは堰が切れたようにその後の苦労を話してくれた。彼は家路につきながらいままでの自分の人生を考えた。乾癬のために未婚である。治療法はなく,もうこれ以上広がりようがない程全身に広がっている。あきらめを通り越してむしろ激しい怒りと闘志がわいてきた。相討ちでもいい絶対に治ってみせる。その夜から彼の戦いが始まった。痒みである。掻けば掻くほど増していく痒みである。引っ掻くと皮疹が悪化することも知っている。彼はベッドに両手をくくりつけるようなエ夫をした。皮膚は全体に熱っぽく痒くて痒くて眠れぬ夜が続いた。男泣きに泣いたという。熱がでて体のふしぶしが痛む。薬は全く使用しなかった。おそらく激しいリバウンドあるいは紅皮症だったのだろう。1ヵ月程はシーツや床に鱗屑があふれたという。毎日きれいに洗濯し, ひどい顔をマスクで隠しながら買物にでかけ自炊した。毎日毎晩乾癬を治すことだけを考えた。規則正しく起床し運動をした。幸い次第に体調はよくなってきた。3カ月程するとほとんど鱗屑がでなくなったという。結局仕事は6カ月間休んだ。再びタクシー業をはじめた時には,ところどころに紅斑があるだけで,爪もかなりきれいになっていた。痒みはなかった。病気が体から抜けてしまい, 完治するのではないかと実感したという。
T病院の外来玄関は雨にけむり,日はとっぷりと暮れていた。私は運ちゃんをすっかり尊敬してしまっていた。次第に離れていくタクシーを目で追いながら,緊張に疲れ茫然としていた。その後私の興味や研究は,薬の作用機序や使い方に知らず知らずのうちに傾いているようだ。あの運ちゃんから味わった緊張感を想い出す度に, ステロイドの代りになるいい薬はないかなとついつい考えてしまう。 (1993年5月12日,山梨にて)
-----(ここまで)-----
いろいろと興味深い文章なのですが、まず、たまたまこの記事を読んだ乾癬の患者の方に向けて釘を刺しておきますが、上の「運ちゃん」は、たまたま乾癬にステロイド皮膚症を合併していた方だと考えられます。乾癬の患者がステロイドを止めたら、治ってしまうということでは無いので勘違いしないでください。
ステロイド依存というのは、アトピー性皮膚炎で起きることが多い(→こちら)ですが、ステロイドを長期連用するあらゆる皮膚疾患において、起こりえます。もちろん乾癬でも生じ得ます。
乾癬におけるステロイド皮膚症については、以前まとめました(→こちら)。アメリカ皮膚科学会(AAD)の乾癬治療のガイドラインにおいても、ステロイド外用剤によるタキフィラキシーやリバウンドは言及されています。
また、乾癬については、その後ビタミンD軟膏など、新しい薬や治療法がいくつか出てきました。このことはアトピー性皮膚炎についても言えます。プロトピック軟膏など、ステロイド以外の薬が開発されました。現在では、まだまだステロイドの比率は高いにしろ「乾癬も湿疹(アトピー)も全て同じ薬」では、必ずしもありません。少しずつではありますが、古江先生が夢見たように、疾患毎に違う薬が開発されてきています。
まるで夏目漱石の小説のような上手な文章でいらっしゃるのですが、読後、どうにも引っかかるものがあるので、あえて、突っ込みを入れます。
「先生が『緊張に疲れ茫然として』しまったのは、『なんで同じ薬なんだ』って運ちゃんの言葉に冷や汗をかいたからですか?それとも皮膚科に通うのを止めたら良くなってしまったという、診察室では決して聞く機会の無い、運ちゃんの実体験を聞かされたからですか?」
表題は「なんで同じ薬なんだ」でいいのだろうか?「何で皮膚科に通うのをやめたら良くなったんだ?」のほうが適切ではないでしょうか?
多くの皮膚科医は、ステロイドを止めるとリバウンドが起きるところまでは、かろうじて知っているのですが、その後良くなってしまう例がある(ステロイド依存例)ということに、なかなか気が付かないということを、よく表しているエッセイだと感じました。
2013.03.01
私が作製した中間分子量ヒアルロン酸化粧水「ヒアルプロテクト」のショップはこちら(下の画像をクリック)