ガイドラインと訴訟
本書では、日本皮膚科学会のガイドラインに、依存やリバウンドの記述が無いことへの憂慮を繰り返し記しています。それでは、学会が作製したガイドラインは、医師に対して、診療上、どのような拘束力を持つのでしょうか?この点を示唆する、二つの文献を紹介したいと思います。
「新医師臨床研修制度における指導ガイドライン」中の「 診療ガイドラインの考え方と活用のポイント」 中山健夫(京都大学大学院医学研究科社会健康医学系専攻健康情報学分野助教授)
-----(ここから引用)-----
エビデンスとの関連がいかに明確な診療ガイドラインであっても、個々の臨床場面での判断は慎重な解釈と医療者の経験に基づいた専門的判断を踏まえた上での適用が不可欠である。診療ガイドラインに書いてある通りのことをすれば良い、書いてないことをすることは許されず訴訟の対象になるというものではない。しかし一方では、診療行為が診療ガイドラインから著しく異なっている場合は、その事実と理由を診療記録に記載する必要性が高まっていくと予想される
-----(ここまで引用)-----
もうひとつは、筑波大学の産婦人科の先生がお書きになったものです。
「診療の基本(A Standard for Medical Care and Clinical Practice)EBM・ガイドライン(EBM and Practice Guidelines)」 吉川裕之 日産婦誌58巻1号(2006)N-3~N-7
-----(ここから引用)-----
一旦ガイドラインが発表されると、関連する臨床医は原則的にはそれに従う必要がある。ガイドラインに従わず治療する場合には,患者さんに対して、従わない理由(適応しない方がよい理由)を説明することが義務づけられる。ただし、ガイドラインに従って行われた治療結果が悪くても、ガイドライン作成者は責任を取らない。アメリカでは、ガイドライン作成者が訴えられることがあったそうで、NCCN のガイドラインには必ず「あなたの症例にはガイドラインの治療が最適でないかもしれない。ガイドライン作成者は治療結果の責任を取らない。」というようなことが前文として記載されている。一度ガイドラインを作成すれば約3 年おきに見直しすることが義務づけられ、ガイドライン作成者には怠慢が許されない。産婦人科医療において医事紛争を減らす手立ての一つとして、ガイドラインを作成することが重要である.アメリカではガイドラインに従っている場合には医療訴訟は少なく、弁護士はガイドラインを無視して起きた医療事故を狙っているといわれている。ガイドラインに沿って診療されたことが記録されていれば、結果が悪い場合でも訴訟に負けることは少ないようである。ただし、訴訟を減らす目的で、現状の医療を正当化するようなガイドラインを作るのでは本末転倒である。妥当な根拠に基づいて標準治療を記載したガイドラインだからこそ法律家も重視するのである。
-----(ここまで引用)-----
診療上の拘束力はないが、ガイドラインに反する場合には、その旨の説明と診療記録への記載が必要なこととが、二つの文献で共に記されています。吉川先生はそれに加えて、ガイドラインに沿った診療をしたほうが訴訟になりにくいし、訴訟になった場合にも有利であると記しています。 ところで、「アメリカでガイドライン作成者が訴えられた」という話は興味深いのですが、引用がありません。いろいろ調べて、たぶんこのことではないか?という記述を下記文献中に見つけました。
The Impact of Clinical Guidelines and Clinical Pathways onMedical Practice: Effectiveness and Medico-legal Aspects T S Cheah,Ann Acad Med Singapore 1998; 27:533-9
----(ここから引用)-----
On the flip side of the issue, it could be quite possible that guideline developers could be held negligent if a patient suffered injury as a result of inadequate or erroneous guidelines. This was illustrated in the US case of Wickline versus State of California in 1986. In this landmark case, the California Medicaid (Medi-Cal) programme refused a doctor’s request for additional days of patient monitoring on the basis that they were not required under the clinical algorithms developed by Medi-Cal. The patient was discharged and subsequently developed complications. Cost-saving reasons had overridden the doctor’s better clinical judgement. The patient in turn sued Medi-Cal for medical negligence in requiring the doctor to discharge the patient against the doctor’s better judgement for cost-containment reasons. The court warned that doctors could be held liable where they disregard good clinical judgement by following cost-containment guidelines when the outcome may adversely affect the patient.
(裏を返すと、もしも、不適当で誤ったガイドラインの結果、患者が障害を負ったとしたら、ガイドライン作成者は、その責任を取らなければならないということだ。このことは、アメリカにおいて、Wickline氏がカリフォルニア州に対して1986年に起こした訴訟によって明確となった。この画期的なケースがどんなものかというと、カリフォルニア州の低所得者向け公的医療保険(Med-Cal)が、患者(Wickline氏)の入院期間延長を、担当医の要請があったにもかかわらず、ガイドラインのアルゴリズムに反するという理由で認めなかったというものだ。患者は退院したが、すぐに合併症を起こした。コスト軽減が医師の適切な臨床判断よりも優先されたのだ。患者は、担当医が正しい判断をしたにも関わらず、コストがかかるという理由で、退院を強制したMedi-Calを訴えた。裁判所は、適切な臨床判断を無視してコスト重視のガイドラインに従ったために患者に被害を与えるようなことになった場合には診療にあたった医師は責任お問われると警告した。)
-----(ここまで引用)-----
また、「NCCNのガイドラインの前文」に興味を持って、調べてみました。これはNCCNのホームページですぐに見つかりました。下記の文章のようです。確かに、各ガイドラインの下のほうに、しつこいくらいに繰り返し付記されています。
-----(ここから引用)-----
Disclaimer: These guidelines are a statement of evidence and consensus of the authors regarding their views of currently accepted approaches to treatment. Any clinician seeking to apply or consult these guidelines is expected to use independent medical judgment in the context of individual clinical circumstances to determine any patient’s care or treatment. The National Comprehensive Cancer Network makes no representations or warranties of any kind regarding their content, use or application and disclaims any responsibility for their application or use in any way.
(免責:これらのガイドラインは、現在受け入れられている治療法についての権威者の見解のコンセンサスとエビデンスを取りまとめたものである。これらのガイドラインを適用あるいは参照する全ての医師は、患者のケアおよび治療の決定において、個別の医療環境に配慮して、ガイドラインとは独立した医学的判断を行わなければならない。国立総合癌ネットワークはガイドラインの内容や使用、適応について、いかなる断言も保証もしない。また、ガイドラインの適応や使用についての全面的な免責を宣言する。)
-----(ここまで引用)-----
ガイドラインは、たしかに、それに従う現場の医師を法的にある程度保護してくれるようですが、それには、当然、ガイドライン自体が、患者保護の目的に沿った正しいものでなければなりません。ガイドラインの誤りが明白であれば、免責の記載が無い以上、当然ガイドライン作成者が責任を問われることもありえます。そのような厳しいものであるからこそ、ガイドラインの信頼性が担保されるわけですから。
訴訟問題ついでに、下記をご覧ください。第二十三章で紹介したある皮膚科の開業医の先生のホームページでの記述です。
-----(ここから引用)-----
■大嘘3~リバウンドが起こる?■
1)よく聞かれる大嘘の1つに「ステロイド外用剤を使用するとリバウンドが起こる」というのがあります。これは、単にステロイド外用剤の使用中止による本来の病気の悪化を「リバウンド」と勘違いしているだけです。例えば、カブレの治療中にまだ治っていないのにステロイド外用剤を中止して悪化したものを「リバウンド」だと勘違いしている人は少なくありません。治療は、皮膚科医が「もういいですよ」というまで続けるのが当たり前です。
2)「ステロイド外用剤」と「リバウンド」で世界中の医学論文を検索しても何も出ません。出てくるのは、ステロイド内服の論文だけです。海外では、「リバウンド」とはステロイド内服によるものをいいます。
2)以上のことから、ステロイド外用剤を使用するとリバウンドが起こるという話は、でっち上げなのでご安心下さい。
3)もし、皆さんの周りにこのようなことを言う医師、薬剤師、お友達等がいても、相手にしないで下さい。
4)ステロイド外用剤に不安をお持ちの方は、お近くの日本皮膚科学会認定専門医を受診して下さい。
-----(ここまで引用)-----
このうち、2)は、どんな読み方をしても、間違っていると言えます。ステロイド外用剤の長期連用で依存に陥ってリバウンドで大変な目にあった患者が、前医を民事で訴えたいと考えたとき、ハードルを高くしているのは、医師側の過失の証明ですが、たとえば、この先生を受診してステロイド外用処方を受けていた患者が、その後ほかの病医院で「ステロイド依存」の診断を得たとしたら、どうでしょうか? 診察室で患者が医師からどんな説明を受けたか、そこの医院の処方だけで依存に陥ったか、を明らかにすることが、なかなか出来ないので、患者は通常医師の過失を証明することができませんが、この先生の場合は、わざわざ自らの過失を堂々とホームページに記載しています。わたしは、このホームページのプリントと、その医院での処方記録、後医でのステロイド依存の診断書だけで、十分この先生の診療上の過失を問えると思います。 そのようなことにならないよう、ステロイド外用剤の副作用に、長期連用による依存・リバウンドが存在することを、ガイドラインに明記し、日皮会会員に、早急に周知徹底する必要があります。
2009.10.21
「新医師臨床研修制度における指導ガイドライン」中の「 診療ガイドラインの考え方と活用のポイント」 中山健夫(京都大学大学院医学研究科社会健康医学系専攻健康情報学分野助教授)
-----(ここから引用)-----
エビデンスとの関連がいかに明確な診療ガイドラインであっても、個々の臨床場面での判断は慎重な解釈と医療者の経験に基づいた専門的判断を踏まえた上での適用が不可欠である。診療ガイドラインに書いてある通りのことをすれば良い、書いてないことをすることは許されず訴訟の対象になるというものではない。しかし一方では、診療行為が診療ガイドラインから著しく異なっている場合は、その事実と理由を診療記録に記載する必要性が高まっていくと予想される
-----(ここまで引用)-----
もうひとつは、筑波大学の産婦人科の先生がお書きになったものです。
「診療の基本(A Standard for Medical Care and Clinical Practice)EBM・ガイドライン(EBM and Practice Guidelines)」 吉川裕之 日産婦誌58巻1号(2006)N-3~N-7
-----(ここから引用)-----
一旦ガイドラインが発表されると、関連する臨床医は原則的にはそれに従う必要がある。ガイドラインに従わず治療する場合には,患者さんに対して、従わない理由(適応しない方がよい理由)を説明することが義務づけられる。ただし、ガイドラインに従って行われた治療結果が悪くても、ガイドライン作成者は責任を取らない。アメリカでは、ガイドライン作成者が訴えられることがあったそうで、NCCN のガイドラインには必ず「あなたの症例にはガイドラインの治療が最適でないかもしれない。ガイドライン作成者は治療結果の責任を取らない。」というようなことが前文として記載されている。一度ガイドラインを作成すれば約3 年おきに見直しすることが義務づけられ、ガイドライン作成者には怠慢が許されない。産婦人科医療において医事紛争を減らす手立ての一つとして、ガイドラインを作成することが重要である.アメリカではガイドラインに従っている場合には医療訴訟は少なく、弁護士はガイドラインを無視して起きた医療事故を狙っているといわれている。ガイドラインに沿って診療されたことが記録されていれば、結果が悪い場合でも訴訟に負けることは少ないようである。ただし、訴訟を減らす目的で、現状の医療を正当化するようなガイドラインを作るのでは本末転倒である。妥当な根拠に基づいて標準治療を記載したガイドラインだからこそ法律家も重視するのである。
-----(ここまで引用)-----
診療上の拘束力はないが、ガイドラインに反する場合には、その旨の説明と診療記録への記載が必要なこととが、二つの文献で共に記されています。吉川先生はそれに加えて、ガイドラインに沿った診療をしたほうが訴訟になりにくいし、訴訟になった場合にも有利であると記しています。 ところで、「アメリカでガイドライン作成者が訴えられた」という話は興味深いのですが、引用がありません。いろいろ調べて、たぶんこのことではないか?という記述を下記文献中に見つけました。
The Impact of Clinical Guidelines and Clinical Pathways onMedical Practice: Effectiveness and Medico-legal Aspects T S Cheah,Ann Acad Med Singapore 1998; 27:533-9
----(ここから引用)-----
On the flip side of the issue, it could be quite possible that guideline developers could be held negligent if a patient suffered injury as a result of inadequate or erroneous guidelines. This was illustrated in the US case of Wickline versus State of California in 1986. In this landmark case, the California Medicaid (Medi-Cal) programme refused a doctor’s request for additional days of patient monitoring on the basis that they were not required under the clinical algorithms developed by Medi-Cal. The patient was discharged and subsequently developed complications. Cost-saving reasons had overridden the doctor’s better clinical judgement. The patient in turn sued Medi-Cal for medical negligence in requiring the doctor to discharge the patient against the doctor’s better judgement for cost-containment reasons. The court warned that doctors could be held liable where they disregard good clinical judgement by following cost-containment guidelines when the outcome may adversely affect the patient.
(裏を返すと、もしも、不適当で誤ったガイドラインの結果、患者が障害を負ったとしたら、ガイドライン作成者は、その責任を取らなければならないということだ。このことは、アメリカにおいて、Wickline氏がカリフォルニア州に対して1986年に起こした訴訟によって明確となった。この画期的なケースがどんなものかというと、カリフォルニア州の低所得者向け公的医療保険(Med-Cal)が、患者(Wickline氏)の入院期間延長を、担当医の要請があったにもかかわらず、ガイドラインのアルゴリズムに反するという理由で認めなかったというものだ。患者は退院したが、すぐに合併症を起こした。コスト軽減が医師の適切な臨床判断よりも優先されたのだ。患者は、担当医が正しい判断をしたにも関わらず、コストがかかるという理由で、退院を強制したMedi-Calを訴えた。裁判所は、適切な臨床判断を無視してコスト重視のガイドラインに従ったために患者に被害を与えるようなことになった場合には診療にあたった医師は責任お問われると警告した。)
-----(ここまで引用)-----
また、「NCCNのガイドラインの前文」に興味を持って、調べてみました。これはNCCNのホームページですぐに見つかりました。下記の文章のようです。確かに、各ガイドラインの下のほうに、しつこいくらいに繰り返し付記されています。
-----(ここから引用)-----
Disclaimer: These guidelines are a statement of evidence and consensus of the authors regarding their views of currently accepted approaches to treatment. Any clinician seeking to apply or consult these guidelines is expected to use independent medical judgment in the context of individual clinical circumstances to determine any patient’s care or treatment. The National Comprehensive Cancer Network makes no representations or warranties of any kind regarding their content, use or application and disclaims any responsibility for their application or use in any way.
(免責:これらのガイドラインは、現在受け入れられている治療法についての権威者の見解のコンセンサスとエビデンスを取りまとめたものである。これらのガイドラインを適用あるいは参照する全ての医師は、患者のケアおよび治療の決定において、個別の医療環境に配慮して、ガイドラインとは独立した医学的判断を行わなければならない。国立総合癌ネットワークはガイドラインの内容や使用、適応について、いかなる断言も保証もしない。また、ガイドラインの適応や使用についての全面的な免責を宣言する。)
-----(ここまで引用)-----
ガイドラインは、たしかに、それに従う現場の医師を法的にある程度保護してくれるようですが、それには、当然、ガイドライン自体が、患者保護の目的に沿った正しいものでなければなりません。ガイドラインの誤りが明白であれば、免責の記載が無い以上、当然ガイドライン作成者が責任を問われることもありえます。そのような厳しいものであるからこそ、ガイドラインの信頼性が担保されるわけですから。
訴訟問題ついでに、下記をご覧ください。第二十三章で紹介したある皮膚科の開業医の先生のホームページでの記述です。
-----(ここから引用)-----
■大嘘3~リバウンドが起こる?■
1)よく聞かれる大嘘の1つに「ステロイド外用剤を使用するとリバウンドが起こる」というのがあります。これは、単にステロイド外用剤の使用中止による本来の病気の悪化を「リバウンド」と勘違いしているだけです。例えば、カブレの治療中にまだ治っていないのにステロイド外用剤を中止して悪化したものを「リバウンド」だと勘違いしている人は少なくありません。治療は、皮膚科医が「もういいですよ」というまで続けるのが当たり前です。
2)「ステロイド外用剤」と「リバウンド」で世界中の医学論文を検索しても何も出ません。出てくるのは、ステロイド内服の論文だけです。海外では、「リバウンド」とはステロイド内服によるものをいいます。
2)以上のことから、ステロイド外用剤を使用するとリバウンドが起こるという話は、でっち上げなのでご安心下さい。
3)もし、皆さんの周りにこのようなことを言う医師、薬剤師、お友達等がいても、相手にしないで下さい。
4)ステロイド外用剤に不安をお持ちの方は、お近くの日本皮膚科学会認定専門医を受診して下さい。
-----(ここまで引用)-----
このうち、2)は、どんな読み方をしても、間違っていると言えます。ステロイド外用剤の長期連用で依存に陥ってリバウンドで大変な目にあった患者が、前医を民事で訴えたいと考えたとき、ハードルを高くしているのは、医師側の過失の証明ですが、たとえば、この先生を受診してステロイド外用処方を受けていた患者が、その後ほかの病医院で「ステロイド依存」の診断を得たとしたら、どうでしょうか? 診察室で患者が医師からどんな説明を受けたか、そこの医院の処方だけで依存に陥ったか、を明らかにすることが、なかなか出来ないので、患者は通常医師の過失を証明することができませんが、この先生の場合は、わざわざ自らの過失を堂々とホームページに記載しています。わたしは、このホームページのプリントと、その医院での処方記録、後医でのステロイド依存の診断書だけで、十分この先生の診療上の過失を問えると思います。 そのようなことにならないよう、ステロイド外用剤の副作用に、長期連用による依存・リバウンドが存在することを、ガイドラインに明記し、日皮会会員に、早急に周知徹底する必要があります。
2009.10.21