「ガイドライン診療」はEBMではない
「アメリカ医療の光と影」という李啓充先生がお書きになった医師向けのエッセイ集があります。 その中に、ガイドラインとEBMの関係について、明快に論じたものがあるので紹介します(「EBMに基づいたガイドラインの滑稽」http://www.kuba.gr.jp/omake/rikeiju.html )。
そのあとで、日本皮膚科学会のアトピー性皮膚炎診療ガイドラインを振り返ってみましょう。
ーーーーー(ここから引用)-----
・・・質問は,「EBMの究極の目的は診療ガイドラインを作ることにあるはずだが,ガイドラインから外れる症例ではどうしたらよいのか」というものであった。この質問は,F医師の講演内容をまったく理解していなかったことを示すだけでなく,EBMに対する完璧な誤解に基づくものであったからこそ,F医師は驚いたのである。
・・・筆者が知る限りでは,「EBMとは治療ガイドラインに基づく医療をすること」というEBMに対する本末転倒の誤解を広めるキャンペーンを厚生省が始めたのは,99年2月に,同省の医療技術評価推進検討会が,「EBMの概念を広めるため,国が音頭をとって治療ガイドラインを策定する」という方針を発表したのが最初である。そして,同年5月には米国のEBM専門家がのけぞって驚くほど頓珍漢な質問を日本の医学部教官から受けるまでにその影響が浸透した・・・
ーーーーー(ここまで引用)-----
http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2002dir/n2476dir/n2476_02.htm
日本皮膚科学会のアトピー性皮膚炎治療ガイドラインが策定されたのは2000年です。そういえば、アトピー性皮膚炎に限らず、各科各種疾患のガイドラインが世に出始めたのもこの頃でした。
私が、EBMという語を最初に知ったのは、1996~7年頃だったでしょうか?大阪のほうで、内科・小児科の先生や薬剤師さんたちが集まって面白い勉強会をやっている、と聞いて、興味半分で参加しました。そこでは、薬剤ひとつひとつについて、治験段階の論文を読み込んで、有効性の再評価、副作用の見落としがないか、などの検証作業が行われていました。
製薬会社からの情報提供は、ともすれば良い面ばかりが強調され、負の側面は知らされにくい、それを克服するために、臨床医や薬剤師自らが統計学の知識を持ち、一つ一つの薬剤についての正しい情報(原著論文)を入手し、それに即した医療を行う。これがEBMである、と教えてもらいました。
後年、2002年ころでしたか、ある大学の皮膚科教授と別件で電話でお話をする機会があり、わたしのアトピー性皮膚炎診療の話になったときに、
「君はEBMという言葉を知っているか?学会のガイドラインも出来た現在、君のやっているガイドラインから外れた診療は、EBMに反している。すなわち正しい治療とは言えない。」
といった趣旨のことを言われました。
「・・・・」唖然として言葉が出ませんでした。何からどう反論というか説明すればいいのか、見当がつかなかったからです。
李先生のエッセイは、わたしの当惑を、よく説明してくれています。
ひとことで言いますと、「ガイドラインに従った診療をすることと、EBMを実践することとは、まったく別物だ」ということです。
EBMは「根拠に基づく医療」という意味ですが、その「根拠」をガイドラインに求めてはいけません。なぜならガイドラインは「科学的根拠」とは言えないからです。
「製薬会社からの情報提供」を根拠とした医療を行ったらEBMでしょうか?もちろん違います。というか、そのような情報を疑ってかかって、さらにその奥にある元々の情報(文献)一つ一つを科学的知識によって再検証しようという姿勢がEBMです。
製薬会社からの情報提供もガイドラインも、誰かが何らかの意図でまとめた二次的発信情報であるという点は同じです。
「EBMを実践せずに、製薬会社からの情報提供や、ガイドラインに従った診療で済ます」という文章は、成立しますが、先の話で教授が述べた「ガイドラインに従わない診療はEBMに反している」という文章は、おかしいです。
李先生のエッセイは、私のわだかたまりを解消させてくれるものでした。のみならず、その背景に、当時から今にわたって厚労省が推進している、診療のガイドライン化が、EBMという言葉を誤解させる原因となっているという指摘は目からウロコでした。
なお、わたしは、ガイドライン化に反対というわけではありません。ガイドラインとEBMという言葉を結びつけるのが、良くない、と考えています。この点、李先生も同じと察します。
李先生の指摘に対しての、厚労省の役人からの反論と、それに対する李先生の再反論も、理解を深めるのに有用だと思うのでぜひご一読下さい。
http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2002dir/n2481dir/n2481_02.htm
http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2002dir/n2486dir/n2486_05.htm
さて、日本皮膚科学会のアトピー性皮膚炎診療ガイドラインを、振り返ってましょう。このガイドラインはどの程度のエビデンスに基づいて策定されているのでしょうか?最新のガイドライン、2009年の版はインターネット上で無料公開されています。
http://www.kyudai-derm.org/part/atopy/pdf/atopy2009.pdf
ステロイド外用剤による治療の項を見てみましょう。
ーーーーー(ここから引用)-----
1)ステロイド外用薬
・ステロイド外用薬のランク:武田の分類に追加して改変した.ステロイド外用薬の効果の高さと局所性の副作用の起こりやすさは一般的には平行することから,必要以上に強いステロイド外用薬を選択することなく,「個々の皮疹の重症度」に見合ったランクの薬剤を適切に選択することが重要である.
ステロイド外用薬の剤型:軟膏,クリーム,ローション,テープ剤などの剤型の選択は,病変の性状,部位などを考慮して選択する.
・ステロイド外用薬の外用回数:急性増悪の場合には1日2回(朝,夕:入浴後)を原則とする.ただし,ステロイド外用薬のランクを下げる,あるいはステロイドを含まない外用薬に切り替える際には,1日1回あるいは隔日投与などの間欠投与を行いながら,再燃のないことを確認する必要がある.ストロングクラス以上のステロイド外用薬では,1日2回外用と1回外用の間に,3週間後以降の治療効果については有意差がない(エビデンスのレベルは2[1つ以上のランダム化比較試験による]).外用回数が少なければ副作用は少ないことを考慮すると,急性増悪した皮疹には1日2回外用させて早く軽快させ,軽快したら1日1回外用させるようにするのがよい(推奨度はA[行うよう強く勧められる]).ただし,ミディアムクラスの場合には,1日2回外用の方が1日1回外用よりも有効である(エビデンスのレベルは2).<以下次回記事に続く>
ーーーーー(ここまで引用)-----
「エビデンスのレベル」という言葉が出てきます。Wikipediaに解説があるので、ご参照下さい(→こちら)。
このあとにも、ステロイド外用剤についての記述は続きます(次回考察します)が、エビデンスのレベルが2なのは、上で示した赤字の2箇所だけです。ほかは、すべてエビデンスレベルでいうと4、すなわち、「専門科委員会や権威者の意見」です。
ガイドライン作成者の誰か(2000年の初版ではおそらく筆頭の川島先生)の作文を叩き台に、数名が相談してこんなものでよかろう、とガイドラインとして策定した、ということでしょう。 なおかつ、2000年時点では、上記2箇所の赤字の部分はまだありませんでした。この2箇所が付記されたのは、2008年の改定版からです。委員会の先生方は、ああ、これでやっと、ガイドラインにもエビデンスレベルの高い一文が加わって、体裁が整った、とほっとされたのではないでしょうか?
太字を読むとわかりますが、これらは、ステロイド外用剤の使用回数についてのエビデンスです。このような使い方をしていれば、依存性や抵抗性に陥らないということを保証してくれるものではもちろんありません。総じて、このガイドラインが準拠しているエビデンスのレベルは低いといえます。
李先生の、
ーーーーー
・・・ガイドラインに従う医療をすることがEBMであるとの認識を示された上に,トップダウンのガイドラインを日本の医師たちに押しつけることが厚生省の目的であるとするM氏の言葉に,厚生省の「EBM」キャンペーンに対する筆者の疑念は解消されるどころか,ますます増強されたのであった。
ーーーーー
http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2002dir/n2486dir/n2486_05.htm
という危惧が、まさに、現実のものとしてここにあるという感じです。日本の多くの皮膚科医が、ガイドラインに準拠した医療を行うことがEBMだと誤解し、自ら文献を当たることもなく、ガイドライン策定委員会の数名の先生の意見という弱いエビデンスに拘泥して、思考停止してしまっているという結果になっているからです。
厚労省が推進している、診療のガイドライン化は、日本全国で、均質な医療が受けられるという目的にかなっています。また、専門外の医師が、経験の少ない病気を診なければならなくなったときなどにも有用でしょう。しかし、「ガイドラインに基づく診療こそがEBMである」という誤解を蔓延させないよう、配慮が必要でした。
私は、専門科である皮膚科医が、「ガイドラインに即した診療を行っています」と言って済ませるのは恥だと思います。少なくとも堂々と言うべきことではありません。専門科である以上は、「ガイドライン診療ではなく、EBMを行ってます」 と言うべきでしょう。ガイドラインとはそういうものです。 (ガイドラインのステロイド外用剤の項の考察は、次回に続きます。)
2011.07.20
そのあとで、日本皮膚科学会のアトピー性皮膚炎診療ガイドラインを振り返ってみましょう。
ーーーーー(ここから引用)-----
・・・質問は,「EBMの究極の目的は診療ガイドラインを作ることにあるはずだが,ガイドラインから外れる症例ではどうしたらよいのか」というものであった。この質問は,F医師の講演内容をまったく理解していなかったことを示すだけでなく,EBMに対する完璧な誤解に基づくものであったからこそ,F医師は驚いたのである。
・・・筆者が知る限りでは,「EBMとは治療ガイドラインに基づく医療をすること」というEBMに対する本末転倒の誤解を広めるキャンペーンを厚生省が始めたのは,99年2月に,同省の医療技術評価推進検討会が,「EBMの概念を広めるため,国が音頭をとって治療ガイドラインを策定する」という方針を発表したのが最初である。そして,同年5月には米国のEBM専門家がのけぞって驚くほど頓珍漢な質問を日本の医学部教官から受けるまでにその影響が浸透した・・・
ーーーーー(ここまで引用)-----
http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2002dir/n2476dir/n2476_02.htm
日本皮膚科学会のアトピー性皮膚炎治療ガイドラインが策定されたのは2000年です。そういえば、アトピー性皮膚炎に限らず、各科各種疾患のガイドラインが世に出始めたのもこの頃でした。
私が、EBMという語を最初に知ったのは、1996~7年頃だったでしょうか?大阪のほうで、内科・小児科の先生や薬剤師さんたちが集まって面白い勉強会をやっている、と聞いて、興味半分で参加しました。そこでは、薬剤ひとつひとつについて、治験段階の論文を読み込んで、有効性の再評価、副作用の見落としがないか、などの検証作業が行われていました。
製薬会社からの情報提供は、ともすれば良い面ばかりが強調され、負の側面は知らされにくい、それを克服するために、臨床医や薬剤師自らが統計学の知識を持ち、一つ一つの薬剤についての正しい情報(原著論文)を入手し、それに即した医療を行う。これがEBMである、と教えてもらいました。
後年、2002年ころでしたか、ある大学の皮膚科教授と別件で電話でお話をする機会があり、わたしのアトピー性皮膚炎診療の話になったときに、
「君はEBMという言葉を知っているか?学会のガイドラインも出来た現在、君のやっているガイドラインから外れた診療は、EBMに反している。すなわち正しい治療とは言えない。」
といった趣旨のことを言われました。
「・・・・」唖然として言葉が出ませんでした。何からどう反論というか説明すればいいのか、見当がつかなかったからです。
李先生のエッセイは、わたしの当惑を、よく説明してくれています。
ひとことで言いますと、「ガイドラインに従った診療をすることと、EBMを実践することとは、まったく別物だ」ということです。
EBMは「根拠に基づく医療」という意味ですが、その「根拠」をガイドラインに求めてはいけません。なぜならガイドラインは「科学的根拠」とは言えないからです。
「製薬会社からの情報提供」を根拠とした医療を行ったらEBMでしょうか?もちろん違います。というか、そのような情報を疑ってかかって、さらにその奥にある元々の情報(文献)一つ一つを科学的知識によって再検証しようという姿勢がEBMです。
製薬会社からの情報提供もガイドラインも、誰かが何らかの意図でまとめた二次的発信情報であるという点は同じです。
「EBMを実践せずに、製薬会社からの情報提供や、ガイドラインに従った診療で済ます」という文章は、成立しますが、先の話で教授が述べた「ガイドラインに従わない診療はEBMに反している」という文章は、おかしいです。
李先生のエッセイは、私のわだかたまりを解消させてくれるものでした。のみならず、その背景に、当時から今にわたって厚労省が推進している、診療のガイドライン化が、EBMという言葉を誤解させる原因となっているという指摘は目からウロコでした。
なお、わたしは、ガイドライン化に反対というわけではありません。ガイドラインとEBMという言葉を結びつけるのが、良くない、と考えています。この点、李先生も同じと察します。
李先生の指摘に対しての、厚労省の役人からの反論と、それに対する李先生の再反論も、理解を深めるのに有用だと思うのでぜひご一読下さい。
http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2002dir/n2481dir/n2481_02.htm
http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2002dir/n2486dir/n2486_05.htm
さて、日本皮膚科学会のアトピー性皮膚炎診療ガイドラインを、振り返ってましょう。このガイドラインはどの程度のエビデンスに基づいて策定されているのでしょうか?最新のガイドライン、2009年の版はインターネット上で無料公開されています。
http://www.kyudai-derm.org/part/atopy/pdf/atopy2009.pdf
ステロイド外用剤による治療の項を見てみましょう。
ーーーーー(ここから引用)-----
1)ステロイド外用薬
・ステロイド外用薬のランク:武田の分類に追加して改変した.ステロイド外用薬の効果の高さと局所性の副作用の起こりやすさは一般的には平行することから,必要以上に強いステロイド外用薬を選択することなく,「個々の皮疹の重症度」に見合ったランクの薬剤を適切に選択することが重要である.
ステロイド外用薬の剤型:軟膏,クリーム,ローション,テープ剤などの剤型の選択は,病変の性状,部位などを考慮して選択する.
・ステロイド外用薬の外用回数:急性増悪の場合には1日2回(朝,夕:入浴後)を原則とする.ただし,ステロイド外用薬のランクを下げる,あるいはステロイドを含まない外用薬に切り替える際には,1日1回あるいは隔日投与などの間欠投与を行いながら,再燃のないことを確認する必要がある.ストロングクラス以上のステロイド外用薬では,1日2回外用と1回外用の間に,3週間後以降の治療効果については有意差がない(エビデンスのレベルは2[1つ以上のランダム化比較試験による]).外用回数が少なければ副作用は少ないことを考慮すると,急性増悪した皮疹には1日2回外用させて早く軽快させ,軽快したら1日1回外用させるようにするのがよい(推奨度はA[行うよう強く勧められる]).ただし,ミディアムクラスの場合には,1日2回外用の方が1日1回外用よりも有効である(エビデンスのレベルは2).<以下次回記事に続く>
ーーーーー(ここまで引用)-----
「エビデンスのレベル」という言葉が出てきます。Wikipediaに解説があるので、ご参照下さい(→こちら)。
このあとにも、ステロイド外用剤についての記述は続きます(次回考察します)が、エビデンスのレベルが2なのは、上で示した赤字の2箇所だけです。ほかは、すべてエビデンスレベルでいうと4、すなわち、「専門科委員会や権威者の意見」です。
ガイドライン作成者の誰か(2000年の初版ではおそらく筆頭の川島先生)の作文を叩き台に、数名が相談してこんなものでよかろう、とガイドラインとして策定した、ということでしょう。 なおかつ、2000年時点では、上記2箇所の赤字の部分はまだありませんでした。この2箇所が付記されたのは、2008年の改定版からです。委員会の先生方は、ああ、これでやっと、ガイドラインにもエビデンスレベルの高い一文が加わって、体裁が整った、とほっとされたのではないでしょうか?
太字を読むとわかりますが、これらは、ステロイド外用剤の使用回数についてのエビデンスです。このような使い方をしていれば、依存性や抵抗性に陥らないということを保証してくれるものではもちろんありません。総じて、このガイドラインが準拠しているエビデンスのレベルは低いといえます。
李先生の、
ーーーーー
・・・ガイドラインに従う医療をすることがEBMであるとの認識を示された上に,トップダウンのガイドラインを日本の医師たちに押しつけることが厚生省の目的であるとするM氏の言葉に,厚生省の「EBM」キャンペーンに対する筆者の疑念は解消されるどころか,ますます増強されたのであった。
ーーーーー
http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2002dir/n2486dir/n2486_05.htm
という危惧が、まさに、現実のものとしてここにあるという感じです。日本の多くの皮膚科医が、ガイドラインに準拠した医療を行うことがEBMだと誤解し、自ら文献を当たることもなく、ガイドライン策定委員会の数名の先生の意見という弱いエビデンスに拘泥して、思考停止してしまっているという結果になっているからです。
厚労省が推進している、診療のガイドライン化は、日本全国で、均質な医療が受けられるという目的にかなっています。また、専門外の医師が、経験の少ない病気を診なければならなくなったときなどにも有用でしょう。しかし、「ガイドラインに基づく診療こそがEBMである」という誤解を蔓延させないよう、配慮が必要でした。
私は、専門科である皮膚科医が、「ガイドラインに即した診療を行っています」と言って済ませるのは恥だと思います。少なくとも堂々と言うべきことではありません。専門科である以上は、「ガイドライン診療ではなく、EBMを行ってます」 と言うべきでしょう。ガイドラインとはそういうものです。 (ガイドラインのステロイド外用剤の項の考察は、次回に続きます。)
2011.07.20