1991年の「アレルギー・体は警告する」
今日解説するのは、1991年の番組です。この年には、先に紹介した1996年のクローズアップ現代で国谷さんの横に座って解説していた西岡清先生が、「皮膚科の臨床」という雑誌に「成人型アトピー性皮膚炎」という論文を発表しています。それまで幼児・小児の病気で大人になれば自然治癒するといわれていたアトピー性皮膚炎が、最近は成人になっても治らない例が増えてきたなあと、皆が気が付き始めた頃でした。
私は1984年に大学を卒業して医師になったので、1991年は卒後7年目、皮膚科に転向して4年目です。
西岡先生が1986年、北里大の助教授に赴任された頃の思い出を記したエッセイが、帝国製薬のDermatology todayに掲載されています(→こちら)。
この頃の状況がよく描写されているので、以下に抜粋しておきます。
ーーーーー(ここから引用)-----
病院の外来は混雑しており、非常に多くの赤ら顔の成人型アトピー性皮膚炎と出会うことになった。大阪では、まだ、このような治療に抵抗する例はごくわずかであったので、箱根を越えるとこれほど違うのかと驚く限りであった。当時、北里大学は、難治性のアトピー性皮膚炎患者に細菌ワクチン療法を始め、その情報が新聞に掲載されたことから、遠くから通ってくる患者も多く、患者が増えていたことが後になってわかった。新任医師であることから、「この病気を何とかできないか」という相談を受けるようになった。ワクチン療法とは、患者の皮膚から培養した細菌を不活化して週一回患者に注射するというものであった。なんとなく信じきれないところが多かったが、これには口を出さず、何故こんなに難治例が多くなったのだろうかという疑問から、調査を始めることにした。それまで、アトピー性皮膚炎は自然治癒する疾患として位置付けられていたからである。
教室の医師たちに協力をお願いして、患者の病歴を詳細に調査することからはじめた。その結果、幼小児期から発症したもの、中学生になってから発症したもの、大学生になってから発症したものが混在しており、これまでの常識とは異なっていた。いずれも赤ら顔と頚部の色素沈着、体幹四肢の慢性の湿疹病巣を伴っていた。特に顔の症状は、頻繁に発赤腫脹する発作を繰り返しており、生活に支障をきたしていた。教科書にある思春期のアトピー性皮膚炎とは、その表現型を異にしていた。そこで、アトピー性皮膚炎のサブセットとして「成人型アトピー性皮膚炎」と称する論文を日本皮膚科学会雑誌に発表させていただいた。さらに続いて、成人型のアトピー性皮膚炎の基礎的研究も医学誌に発表することができた。当時はアトピー性皮膚炎を研究テーマとしている皮膚科医は数えるほどで、また、海外ではほとんどこのような報告もなかったので、注目もされなかった。
ーーーーー(ここまで引用)-----
そのような背景のもとに製作された番組です。アレルギーの増加、アトピー性皮膚炎の難治化に、世の中が漠然とですが、気が付き始めていました。
こちらの(→ここ) 「No280・放映日91.02.09」の番組です。NHKでは、過去の番組の再放映リクエストを募集しているようなので、是非リクエストしてください(→ここ)。
私は1984年に大学を卒業して医師になったので、1991年は卒後7年目、皮膚科に転向して4年目です。
西岡先生が1986年、北里大の助教授に赴任された頃の思い出を記したエッセイが、帝国製薬のDermatology todayに掲載されています(→こちら)。
この頃の状況がよく描写されているので、以下に抜粋しておきます。
ーーーーー(ここから引用)-----
病院の外来は混雑しており、非常に多くの赤ら顔の成人型アトピー性皮膚炎と出会うことになった。大阪では、まだ、このような治療に抵抗する例はごくわずかであったので、箱根を越えるとこれほど違うのかと驚く限りであった。当時、北里大学は、難治性のアトピー性皮膚炎患者に細菌ワクチン療法を始め、その情報が新聞に掲載されたことから、遠くから通ってくる患者も多く、患者が増えていたことが後になってわかった。新任医師であることから、「この病気を何とかできないか」という相談を受けるようになった。ワクチン療法とは、患者の皮膚から培養した細菌を不活化して週一回患者に注射するというものであった。なんとなく信じきれないところが多かったが、これには口を出さず、何故こんなに難治例が多くなったのだろうかという疑問から、調査を始めることにした。それまで、アトピー性皮膚炎は自然治癒する疾患として位置付けられていたからである。
教室の医師たちに協力をお願いして、患者の病歴を詳細に調査することからはじめた。その結果、幼小児期から発症したもの、中学生になってから発症したもの、大学生になってから発症したものが混在しており、これまでの常識とは異なっていた。いずれも赤ら顔と頚部の色素沈着、体幹四肢の慢性の湿疹病巣を伴っていた。特に顔の症状は、頻繁に発赤腫脹する発作を繰り返しており、生活に支障をきたしていた。教科書にある思春期のアトピー性皮膚炎とは、その表現型を異にしていた。そこで、アトピー性皮膚炎のサブセットとして「成人型アトピー性皮膚炎」と称する論文を日本皮膚科学会雑誌に発表させていただいた。さらに続いて、成人型のアトピー性皮膚炎の基礎的研究も医学誌に発表することができた。当時はアトピー性皮膚炎を研究テーマとしている皮膚科医は数えるほどで、また、海外ではほとんどこのような報告もなかったので、注目もされなかった。
ーーーーー(ここまで引用)-----
そのような背景のもとに製作された番組です。アレルギーの増加、アトピー性皮膚炎の難治化に、世の中が漠然とですが、気が付き始めていました。
こちらの(→ここ) 「No280・放映日91.02.09」の番組です。NHKでは、過去の番組の再放映リクエストを募集しているようなので、是非リクエストしてください(→ここ)。
前半は、食事療法をめぐる小児科と皮膚科の意見の違いについてです。除去食=多数の小児科、厳格食=一部の小児科、薬物療法=皮膚科という図式です。フロアに集まっている人たちも、アトピー児を抱えるお母さんで、この時代、担当医の食事指導の違いが、最大の関心事であったようです。
「かなり酷い例、極端な例」として、下写真のような成人期の皮疹も紹介されます。今では珍しくないですが、この頃はまだ例外的とされていたことがわかります。
松村龍雄先生の名前は、小児科医でも若い先生はもう知らないかもしれません。皮膚科医はなおのことです。食事療法、とくに厳格食のカリスマのような方でした。
食事療法についての議論が続いて、後半、29分ごろから、ステロイドの副作用についての話が始まります。
ステロイドに関する部分は、海外の動画投稿サイトにUPされています(→ここ、注:私が投稿したものではありません)。解説は、当時順天堂大学皮膚科教授であった小川秀興先生と京都大学小児科教授の三河春樹先生です。
ステロイドに関する部分は、海外の動画投稿サイトにUPされています(→ここ、注:私が投稿したものではありません)。解説は、当時順天堂大学皮膚科教授であった小川秀興先生と京都大学小児科教授の三河春樹先生です。
大阪府の1989年の調査結果が示されていて、興味深いです。ここでちょっとコメントしておきたいことは、この時代は、保険診療点数の算定の仕方が現在と異なっており、薬を処方すれば処方するほど病医院の収益は上がる仕組みになっていました。ですから今よりも圧倒的に処方量が多かったと思います。それでも「医師の指示通り=29.4%」であったようです。患者医師関係においても、今よりも、医師が高所に立っていて、ステロイド依存をめぐる医療不信も一般的ではありませんでした。患者、とくに子供に付き添っていた母親の多くは、忠実に子供に薬を塗っていたことでしょう。
ーーーーー
「指示通りってすごく少ないんですね。」
「そうですねえ、30%くらいしかないですね」
ーーーーー
このコメントが、それを物語っていると感じます。
この頃、小児であった患者が90年代後半から2000年にかけて20才台に、幼児であった患者が現在20才台になっているわけです。現代の成人アトピーの患者にとっては、自分のお母さんたちが、どのような環境の中、幼小児であった自分の治療に取り組んでいたか、が窺われる貴重な資料だと思います。
ステロイドを巡る小川先生のコメントは、当時の皮膚科医の標準的な考えを知る上で役立つと思われるので文字起こししておきます。
ーーーーー(ここから引用)-----
小川 「一般にですね、ステロイドの持つイメージっていうものが、大変暗いものがありますね。なんか、いよいよステロイドを飲むようになってしまったかとかですね、できるだけ早く止めたいとかですね、しかし、ステロイドというのはほんとに素晴らしい薬でしてね、大変な救いを与えてくれているわけですね。しかしおっしゃるように両刃の刃のようなところがありまして、かなりの副作用もあるわけですね。
たとえばこの映像のように毛細血管が赤く浮き出てしまうとかですね、あるいは皮膚がえらくもろくなるとかですね、あるいはこの方は毛嚢炎なんかを起こしている、そういう皮膚の感染症なんかを起こして弱くなるとかですね、皮膚だけじゃなくて全身的にいろんなことが起こってくるわけです。そういうことがですね、副作用が怖いということがものすごく、私に言わせれば、現実よりも、たくさん多く増幅されて伝わっていて、ステロイドが怖いから出来るだけ止めたいんだという気持ちがですね、さっきの軟膏の使用量を減らしたり、錠剤を、先生は3錠飲みなさいと言うんですが、それを2錠にしてしまったり、そういうことを招いてるんだと思いますね。これはとても不幸なことだと思います。」
キャスターの女性 「ただ、こんな副作用の今見せていただいただけでも、やっぱり怖いと思いますよねえ。」
フロアから 「うちの子供の場合は、もう成人なんですけれども、範囲が広いんですよね、それで使う量が、いっぺんに塗布する量が多いんで、かなりの量を使うんです。それで翌日からもう、すごくきれいになるんですけれども、きれいになると量を減らしたいと、親心で、なるべく少なくしてしまう。で、使う量を少なくすることっていうのが、完治につながらないんじゃないかと思うんですけど、その辺の薬の使い方についてお伺いしたいんですけど。」
小川 「まず、ステロイドの基本的なことを整理いたしますとね、内服薬のステロイドに比べてですね、外用薬のステロイドというものは、副作用が少ないんですね。非常に少ない。そして局所に、皮膚に使うわけですが、それはもちろん使いすぎると副作用が出るわけですが、それは、止めれば、あるいは徐々に止めるとか、治療することによってですね、ほとんど後遺症なく治すことができるんです。だから使ってとにかく皮膚の炎症を取るとかですね、そういうためには使っていいわけです。
ただし、アトピー性皮膚炎で言いますと、ステロイドといっても、ものすごく強いタイプのステロイドから、非常に弱い形のステロイド、あるいはステロイドでないような、炎症を抑える薬まで、バリエーションがものすごくあって、ステロイドの中でも5段階か6段階に分かれてるんですね。」
キャスターの女性 「そんなにあるんですか?」
小川 「この皮膚の場所にはこの強さのやつを、この程度だったらこのくらいの弱いやつをという風にですね、めりはりを付けながら使用していくというのがとても大切なことで、例えばある先生が、顔から足の先まで、このチューブ一本の薬でアトピー性皮膚炎を治療しなさいというような先生がいたら、それはやはり僕は間違いだと思いますね。
もう一つの原則は、原則として、顔とか首から上には、ステロイドの軟膏を使っちゃいけないと。」
キャスターの女性 「症状が酷くてもですか?」
小川 「症状が酷くても原則としては使わないということなんです。使っても、非常に短期間で止めるということですね。その辺の約束事を守ってですね、そしてちゃんとした専門医の治療・指示に従ってやる限りですね、ステロイドは、考えているほど恐ろしいものではなくて、むしろですね、副作用を恐れてそれを使わない、あるいは他の治療法に走ると、えー自分の判断でですね、走ることの危険性のほうが強いんじゃないかということですね。」
ーーーーー(ここまで引用)-----
ここから、読み取れることを以下に記します。
1)この時代も、ステロイドへの不安はあった。ただし、それは漠然としたものであり、依存やリバウンドに関してのものではなかった。
2)内服ステロイドの処方は珍しくなかったようだ。
3)「顔や首から上に使わない」のが原則とされていた。
です。
3)は、1988年の様子を記した西岡先生のエッセイのようなことが問題になってきていた結果であろうかと思います。2)について、以前紹介した、1983年の須貝先生の文(→ここ)中でも、顔のステロイド依存の離脱にあたって内服ステロイドを使用する手法が紹介されていました。今よりも、顔へのステロイド外用が警戒され、内服の処方については、寛容だったようです。
表皮という局所に直接塗布するステロイド外用剤のほうが、内服よりも依存を起こしやすいことは、本ブログで、以前から繰り返し記してきました。皮膚科医が全身性の副作用を懸念して、内服ステロイドの使用に慎重になったことが、皮肉にも「ステロイド依存」の患者を増やす結果となったのかもしれません。
最後に、スキンケアのポイントが示されます。
ーーーーー
「指示通りってすごく少ないんですね。」
「そうですねえ、30%くらいしかないですね」
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このコメントが、それを物語っていると感じます。
この頃、小児であった患者が90年代後半から2000年にかけて20才台に、幼児であった患者が現在20才台になっているわけです。現代の成人アトピーの患者にとっては、自分のお母さんたちが、どのような環境の中、幼小児であった自分の治療に取り組んでいたか、が窺われる貴重な資料だと思います。
ステロイドを巡る小川先生のコメントは、当時の皮膚科医の標準的な考えを知る上で役立つと思われるので文字起こししておきます。
ーーーーー(ここから引用)-----
小川 「一般にですね、ステロイドの持つイメージっていうものが、大変暗いものがありますね。なんか、いよいよステロイドを飲むようになってしまったかとかですね、できるだけ早く止めたいとかですね、しかし、ステロイドというのはほんとに素晴らしい薬でしてね、大変な救いを与えてくれているわけですね。しかしおっしゃるように両刃の刃のようなところがありまして、かなりの副作用もあるわけですね。
たとえばこの映像のように毛細血管が赤く浮き出てしまうとかですね、あるいは皮膚がえらくもろくなるとかですね、あるいはこの方は毛嚢炎なんかを起こしている、そういう皮膚の感染症なんかを起こして弱くなるとかですね、皮膚だけじゃなくて全身的にいろんなことが起こってくるわけです。そういうことがですね、副作用が怖いということがものすごく、私に言わせれば、現実よりも、たくさん多く増幅されて伝わっていて、ステロイドが怖いから出来るだけ止めたいんだという気持ちがですね、さっきの軟膏の使用量を減らしたり、錠剤を、先生は3錠飲みなさいと言うんですが、それを2錠にしてしまったり、そういうことを招いてるんだと思いますね。これはとても不幸なことだと思います。」
キャスターの女性 「ただ、こんな副作用の今見せていただいただけでも、やっぱり怖いと思いますよねえ。」
フロアから 「うちの子供の場合は、もう成人なんですけれども、範囲が広いんですよね、それで使う量が、いっぺんに塗布する量が多いんで、かなりの量を使うんです。それで翌日からもう、すごくきれいになるんですけれども、きれいになると量を減らしたいと、親心で、なるべく少なくしてしまう。で、使う量を少なくすることっていうのが、完治につながらないんじゃないかと思うんですけど、その辺の薬の使い方についてお伺いしたいんですけど。」
小川 「まず、ステロイドの基本的なことを整理いたしますとね、内服薬のステロイドに比べてですね、外用薬のステロイドというものは、副作用が少ないんですね。非常に少ない。そして局所に、皮膚に使うわけですが、それはもちろん使いすぎると副作用が出るわけですが、それは、止めれば、あるいは徐々に止めるとか、治療することによってですね、ほとんど後遺症なく治すことができるんです。だから使ってとにかく皮膚の炎症を取るとかですね、そういうためには使っていいわけです。
ただし、アトピー性皮膚炎で言いますと、ステロイドといっても、ものすごく強いタイプのステロイドから、非常に弱い形のステロイド、あるいはステロイドでないような、炎症を抑える薬まで、バリエーションがものすごくあって、ステロイドの中でも5段階か6段階に分かれてるんですね。」
キャスターの女性 「そんなにあるんですか?」
小川 「この皮膚の場所にはこの強さのやつを、この程度だったらこのくらいの弱いやつをという風にですね、めりはりを付けながら使用していくというのがとても大切なことで、例えばある先生が、顔から足の先まで、このチューブ一本の薬でアトピー性皮膚炎を治療しなさいというような先生がいたら、それはやはり僕は間違いだと思いますね。
もう一つの原則は、原則として、顔とか首から上には、ステロイドの軟膏を使っちゃいけないと。」
キャスターの女性 「症状が酷くてもですか?」
小川 「症状が酷くても原則としては使わないということなんです。使っても、非常に短期間で止めるということですね。その辺の約束事を守ってですね、そしてちゃんとした専門医の治療・指示に従ってやる限りですね、ステロイドは、考えているほど恐ろしいものではなくて、むしろですね、副作用を恐れてそれを使わない、あるいは他の治療法に走ると、えー自分の判断でですね、走ることの危険性のほうが強いんじゃないかということですね。」
ーーーーー(ここまで引用)-----
ここから、読み取れることを以下に記します。
1)この時代も、ステロイドへの不安はあった。ただし、それは漠然としたものであり、依存やリバウンドに関してのものではなかった。
2)内服ステロイドの処方は珍しくなかったようだ。
3)「顔や首から上に使わない」のが原則とされていた。
です。
3)は、1988年の様子を記した西岡先生のエッセイのようなことが問題になってきていた結果であろうかと思います。2)について、以前紹介した、1983年の須貝先生の文(→ここ)中でも、顔のステロイド依存の離脱にあたって内服ステロイドを使用する手法が紹介されていました。今よりも、顔へのステロイド外用が警戒され、内服の処方については、寛容だったようです。
表皮という局所に直接塗布するステロイド外用剤のほうが、内服よりも依存を起こしやすいことは、本ブログで、以前から繰り返し記してきました。皮膚科医が全身性の副作用を懸念して、内服ステロイドの使用に慎重になったことが、皮肉にも「ステロイド依存」の患者を増やす結果となったのかもしれません。
最後に、スキンケアのポイントが示されます。
1と3は現在の保湿の考え方と同じですが、2については、石けんはステロイド外用剤と並んで表皮バリア破壊の元ですので、なるべく控えたほうがいいと変わってきていると思います(→こことここ)。
1991年のこの番組は、アトピー性皮膚炎のステロイド依存やリバウンドが社会問題となるまさに「夜明け前」を記録しています。翌年1992年に、ニュースステーションの特集が組まれ、実態が社会に大きく伝えられました。しかし、ニュースステーションの報道は決して「作られ」たり「仕組まれ」たものではなく、それに先立って、民間療法(→こちら)や、一部の医師(→こちら)は、この問題に気が付いて警告を始めていたのです。ニュースセンターの報道は、1991年に皆が感じていた「漠然とした不安」を明確化したものであったために注目されたのです。「やっぱりそうだったのか」という感じす。もしも、根も葉もない作り話だったら、皆、すぐに忘れ去ってしまっていたことでしょう。
2011.11.09
1991年のこの番組は、アトピー性皮膚炎のステロイド依存やリバウンドが社会問題となるまさに「夜明け前」を記録しています。翌年1992年に、ニュースステーションの特集が組まれ、実態が社会に大きく伝えられました。しかし、ニュースステーションの報道は決して「作られ」たり「仕組まれ」たものではなく、それに先立って、民間療法(→こちら)や、一部の医師(→こちら)は、この問題に気が付いて警告を始めていたのです。ニュースセンターの報道は、1991年に皆が感じていた「漠然とした不安」を明確化したものであったために注目されたのです。「やっぱりそうだったのか」という感じす。もしも、根も葉もない作り話だったら、皆、すぐに忘れ去ってしまっていたことでしょう。
2011.11.09