皮膚科の先生からのコメント
日本皮膚科学会中部支部学術大会の佐藤先生と古江増隆教授のディスカッション(→こちら)の会場にいらっしゃった皮膚科医のかたから、コメントをお寄せいただきました。名乗ってはおられませんが、メールアドレスなどから、ある大学の中堅の皮膚科の先生であると特定が可能です。冒頭「古江先生寄りの意見であることは否めませんが」という前置きの上で、以下のようなご意見を頂きました。個人特定がなされないよう冒頭部分は割愛のうえ、ブログ上で紹介させていただきます。
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古江増隆教授が罵倒とか怒鳴り込みとかと表現されているのはもちろん的確でありませんが、当事者としては仕方ないのでしょうか。そのときに私が強く感じたのは佐藤先生と古江教授とはみているところが違うということでした。佐藤先生は受診された患者さんが治ったので、治ったから良い治療という論調でしたが、古江教授はそのうらのステロイドを悪者にして不幸になっている患者をたくさん知っているので、患者さんが治ったことはいいことであるけど、その単純な論調は間違っているといっているようでした。ステロイドにかぶれたりしてもしくは酒様皮膚炎などのステロイド皮膚症、薬の副作用がでれば通常中止するのが一般的対応で、特別な治療でなく、みんなやっていることだと思います。ましてや脱ステロイドや脱保湿が治療というのは、言葉としておかしく、誤解を与えるので、そのような使い方をしないでいただきたいという趣旨だと理解しました。また、佐藤先生はどの程度患者さんにそのいわれている治療(脱ステロイド)を行って、何人治って、何人治らなかったかは明言されませんでした。
同じアレルギーでも喘息ではステロイド吸入は問題なく使用されているようにみうけるのは気のせいでしょうか。そこに疾患の重篤度、死ぬかどうかがからんでるのでしょうか。
そして古江増隆教授が一番憂えているのは、このような内輪もめのような発表、揚げ足取りのような発表をしていれば、皮膚科がいらなくなってしまう、必要とされなくなってしまう、つぶれてしまうと危機感を感じてるようでした。
たしかに、ステロイドをやめるのは誰でも(患者でも)できますし、それが治療ということならば、皮膚科医が皮疹をみて、外用を調整する、さじ加減をする、診断をするということは必要とされなくなる、スキルを磨かなくなるということが想像されます。
そのことを、あつく語っていた古江増隆教授をみれたことは私にとってこの学会に参加できて本当によかったと強く思った次第でした。
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はじめに、当ブログをご覧いただき、コメントをお寄せいただきましたことを心から御礼申し上げます。わたしがこのブログで記事を書き続けている最大の目的が、この方のような「標準治療寄り」の皮膚科医に、この問題に少しでも関心を寄せて欲しい、ということであるからです。
私は当日の会場に居合わせなかったので「怒鳴り込み」といった佐藤先生の表現が、どのくらい当たっていたのかは、わかりません。そこは置いておいて、この先生のコメントを読んで、わたしがお答えしておきたいと感じたことをいくつか記したいと思います。
>佐藤先生と古江教授とはみているところが違う
ご指摘の通りです。先回の記事の後半部分に記しましたが、古江先生ご自身、
1)ステロイド外用量を増やしても「悪い」ままである一部の患者群がいるようである。
2)コントロール不良群の全ての患者が、真にコントロール不能というわけではないかもしれない。なぜなら、コントロール不良群の患者の50%では、ステロイド外用総量が非常に少ないからである。
と、繰り返し論文で記しています。佐藤先生は1)に注目しているし、古江先生は2)を重視していると言えます。
しかし、私や佐藤先生の立場から言わせていただくと、私たちは、薬剤の「副作用報告」をしているのです。副作用を起こしていると疑われる薬剤があり、これを除去したところ、このように改善した、と報告しているのに、フロアから「その薬剤で良くなって恩恵を受ける人もいるのに、一方的に悪者扱いをすべきではない」と発言する人がいたとしたら、それは、詭弁です。
ステロイド依存問題に限らず、薬害に関して、このパターンの議論というか論理の応酬は、定番といっていいものだと思います。
>佐藤先生は受診された患者さんが治ったので、治ったから良い治療という論調でしたが、古江教授はそのうらのステロイドを悪者にして不幸になっている患者をたくさん知っているので、患者さんが治ったことはいいことであるけど、その単純な論調は間違っているといっているようでした。
このやりとりは、まさにそういう、副作用報告とそれに対する詭弁的反論という定番のパターンです。
「患者さんが治ったので、治ったから良い治療という論調でした」という点が、いかにも佐藤先生が単純で、古江先生がそれを諌めているような印象を与えますけどね。そういう話ではありません。
>ステロイドにかぶれたりしてもしくは酒さ様皮膚炎などのステロイド皮膚症、薬の副作用がでれば通常中止するのが一般的対応で、特別な治療でなく、みんなやっていることだと思います。ましてや脱ステロイドや脱保湿が治療というのは、言葉としておかしく、誤解を与えるので、そのような使い方をしないでいただきたいという趣旨だと理解しました。また、佐藤先生はどの程度患者さんにそのいわれている治療(脱ステロイド)を行って、何人治って、何人治らなかったかは明言されませんでした。
「脱ステロイドや脱保湿が治療というのは、言葉としておかしく、誤解を与える」という点は、わたしもそう思います。そもそもの始まりは、1993年に玉置先生が、「脱ステロイド軟膏療法」として、この問題を提議されたことではなかったか?とさえ感じます(→こちら)。
わたしは、従来から、一貫して「療法」という語はこの問題を議論するうえでふさわしくない、と考え、Steroid addiction(ステロイド依存)という語を使っています。
「誤解を与えるので、そのような使い方をしないでいただきたいという趣旨」とありますが、今回の古江先生の質疑の趣旨が、そういう言葉の問題だったのか?という点は疑問に感じます。もしそういう趣旨であったのなら、口演者である佐藤先生本人がそう理解して短報にも記したと思うからです。むしろ、佐藤先生とこのコメントを寄せてくださった先生との印象が違うということは、よほど古江先生が興奮気味であったのだろうか?と想像します。
「(脱ステロイド)を行って、何人治って、何人治らなかったかは明言されませんでした」について。脱ステロイドというか、ステロイド依存からの脱却を「治療」として捉えると、こういうおかしな議論へと展開します。
ある薬剤があって、その有効率が60%で副作用(この場合は依存)発現率が10%であった場合に、60%>10%だから、この薬は有用だ、とは誰も言わないでしょう?
ご参考までに、あえて玉置先生の報告と、古江先生らが行ったステロイド外用治療とを比較すると、玉置先生の「改善以上」が69%に対し、古江先生らのは37%になります(→こちら)。ほかの、脱ステロイドの論文も、だいたい60%台くらいのはずです。
また、これは、わたしの推測ですが、このコメントを下さった先生は、ステロイド依存(全身性の酒さ様皮膚炎と言ってもいい)の患者の実数を、甘く見ているのではないかと思います。私の場合で言いますと、90年代から10年間ほどこの問題に関わったというか、脱ステロイド診療を行っていましたが、経験値は、1カ月以上の入院患者で数百人、半年以上の経過を追った外来患者数で数千人くらいだと思います(集計してなくて印象ですみません)。佐藤先生が脱ステロイド患者を診てきた年数はわたしの倍はあります。決して10人や20人という数ではありません。
>同じアレルギーでも喘息ではステロイド吸入は問題なく使用されているようにみうけるのは気のせいでしょうか
喘息のはなしは、ときどき書いているのですが、気管気管支粘膜を介してのステロイド投与は、ステロイド依存を来たさないようです。粘膜と表皮との構造の違いによると思います。
ステロイド依存からの離脱に、ステロイドの全身投与が有用であるという逆説的経験則(→こちら)も、これで解釈可能です。
>そして古江増隆教授が一番憂えているのは、このような内輪もめのような発表、揚げ足取りのような発表をしていれば、皮膚科がいらなくなってしまう、必要とされなくなってしまう、つぶれてしまうと危機感を感じてるようでした。
たしかに、ステロイドをやめるのは誰でも(患者でも)できますし、それが治療ということならば、皮膚科医が皮疹をみて、外用を調整する、さじ加減をする、診断をするということは必要とされなくなる、スキルを磨かなくなるということが想像されます。
「内輪もめのような発表、揚げ足取りのような発表をしていれば 」について。
ここはちょっと理解できないところですが・・。学会というのは、本来、そういう「内輪もめ」のようなことを言い合って皆が勉強するところではないですか?北朝鮮じゃあるまいし。
ていうか、先生のこの一文によって、ここ十年ほどの皮膚科学会の、脱ステロイド関連の発表に対する統制・粛清的な雰囲気を、このブログを読んでいる人たちが、理解しやすくなるのではないかと思います。有難うございます。
「皮膚科がいらなくなってしまう、必要とされなくなってしまう、つぶれてしまう」について。
前の文章はよくわからないのですが、このフレーズ単独に関しては、 その危機感はわからなくもないです。
わたしは、2003年に国立名古屋病院を退職して開業しましたが、皮膚科保険診療(とくに「脱ステロイド」)で開業は、成り立たないと考えて、美容外科の自由診療のみで開業しました。
皮膚科という学問は好きなので(視診でぱっとみて病名をつける、という画像認識の世界が好きです)、勉強は続けており、皮膚科専門医の更新はしています。ときどき、他科の友人の医師がメールで患者の皮疹を送ってきて、診断をつけて返したりしています。
しかし、世界的に見て、これだけ多人数の医師が皮膚科だけにしがみついて食べている日本の状況がそもそもおかしいのだと思います。
「脱ステロイドはステロイドを使う皮膚科医の治療を冒涜することだ。けしからん。皆さんそう思いませんか。」
という古江先生の言葉に、そのような皮膚科の存在意義への懸念があったのではないか?というご指摘と解しましたが、ステロイドを使う、というか処方するだけで対価を得てきた、過去の保険診療の日本の皮膚科が根本的に間違っていたのです。まして、これだけステロイド依存症患者を出しながら、なおも問題から眼をそむけ続ける皮膚科医の「ステロイドの使い方」に、いったいどれだけの価値を患者たちが見出してくれるというのでしょうか?私はこのステロイド依存の問題を放置すればするほど、皮膚科医の存在意義は薄れると思います。
「皮膚科医が皮疹をみて、外用を調整する、さじ加減をする、診断をするということは必要とされなくなる、スキルを磨かなくなる」について。
私は、このステロイド依存という現象から目を背け続けることこそが、若手の皮膚科医が、「皮疹をみて、外用を調整する、さじ加減をする、診断をする」という、古典的かつ基本的な作業を軽んじるようになる元だと思うのですが・・ずいぶん認識が違うようですね。
「ステロイドをやめるのは誰でも(患者でも)できます」について。
失礼ながら、これは苦笑してしまいました。「ステロイドを処方して、1FTUの塗り方の指導をするだけなら誰でもできます」の間違いではないかと、最初、真剣に思って、読み直しました。
脱ステロイドの現場を知らなくても、顔面のステロイド酒さの離脱程度なら、おやりになったことはあるのではないでしょうか?あれの全身版です。大変ですよ。
標準治療の先生方は、ステロイド忌避の患者を前にして、わたしたち脱ステロイドの皮膚科医の存在を苦々しく思っているのでしょうが、脱ステロイドの診療現場というのは、医師も患者もはるかに壮絶です。なおかつ、その仕事は、まさに前医の後始末・尻拭いであり、それに加えて、今回の古江先生の発言のような非難(叱責?)を浴びせられるわけです。
「標準治療」というステロイド外用剤のよい面のみを振りかざして、依存や抵抗性という暗部の後始末を結果的に私たちに押し付け、なおかつ学会報告しようとすれば、威圧的に非難する、少なくとも私は、そういう一部の皮膚科医たちに対して、憎しみといってもいい強い感情を根底に抱くに至りました。偽善に対する怒りですね。人間ですから、感情があって当たり前でしょう?もちろん、このブログの記事にその感情を反映させないように努めてはいます。そんなことしたら、記事の内容の信頼性が損なわれるし、何よりも患者が困惑して悲しみますからね。しかし、あえてここで私の感情に言及することによって、私が何が伝えたいかというと、先生が佐藤先生やおそらく私に対して有しているであろう負の感情よりもはるかに強い気持ちを、少なくとも私は、先生たち、皮膚科医でありながら、この問題、ステロイド依存という、目の前の患者において起きている現象に気が付いていない人たちに対して、抱いているのだということを、この機会にどうかご認識ください、ということです。おそらくは(そういう脱ステロイド側の医師の感情に)気が付いていらっしゃらないだろうと思うので。
私は皮膚科の世界が好きで皮膚科医になりました。だからなおのこと思いが強いのかもしれません。皮膚科という、かって自分が属した、素晴らしい診療科の世界が穢れていくのを悲しく思う気持ちは、古江先生に負けません。
最後にコメントお寄せいただきましたことを、もう一度心から御礼申し上げます(本心です)。
2011.12.02