2010年11月11日の朝日新聞の記事
ーーーーー(ここから引用)-----
【皮膚 大人のアトピー3 ステロイド中止 みるみる悪化】
埼玉県の荻野美和子さん(31)は、大学4年だった9年前、悪化するアトピー性皮膚炎に悩んでいた。ステロイドの塗り薬でも良くならず、次第に薬を使わなくなっていった。
大学4年の2月、インターネットで見つけた漢方を専門にする診療所を家族と一緒に訪ねた。待合室に「ステロイドは出しません」という張り紙があった。「いつかは分からないけれど、絶対に治る」と話す院長の言葉が心強かった。
ステロイドを完全にやめ、自宅での漢方治療が始まった。煎(せん)じ薬を入れた風呂に1日2時間つかる。上がったら、漢方薬の軟膏(なんこう)を全身に塗った。3カ月目ごろからは朝晩、「根っこの味」がする煎じ薬を飲んだ。
肌は、みるみる悪化した。
全身がたまらなくかゆい。体中にひっかき傷とあかぎれができた。皮膚がつっぱり、布団の中でひざを伸ばすのに10分かかった。顔や首から体液がしみ出して、1日に何十枚もタオルをぬらした。
太陽の下で自分の肌を見つめるのが怖くて、一日中カーテンを閉めてベッドに横たわった。夏でも寒く、空気に触れると刺されるように痛い。企業の内定はすべて辞退した。
肌は、表面のバリアが壊れた状態で外から刺激を受けると内側に炎症を起こす司令塔の細胞が集まり、かゆみの指令を出す。かくことでさらにかゆくなる悪循環が起きていた。
診療所は遠方のため通えず、診察は電話だった。いつも同じ薬が届いた。母の裕子(ゆうこ)さん(62)は「肌も見ないで、治療と呼べるのかな」と感じた。でも娘に「病院、変えてみない?」と促すと、「私の信じている治療を否定するの」と、すごい剣幕で返された。もう何も言えなかった。
それから2年余り。改善の兆しは見えず、荻野さんも悩み始めていた。自宅は自営業で、家族の働く気配も伝わってくる。ずっと家にいることに罪悪感が募った。 改めて面接を受け、事務職の仕事を始めた。全身の炎症は続いていた。出勤前に1時間早く起きて肌をかき尽くし、「今日は行けるかな」と毎朝考えた。仕事中にどうしてもかゆくなったときは、トイレでかいた。
漢方を始めて5年半が過ぎた2006年。もう一度、家族から都内の病院の受診を促された。「うん、行ってみる」。今度はそう答えた。もう疲れていた。
ーーーーー(ここまで引用)-----
http://megalodon.jp/2010-1111-2311-35/www.asahi.com/health/ikiru/TKY201011110197.html?ref=reca
朝日新聞の連載記事の3日めです。実例として紹介されている患者さんの経過が明らかにされつつあります。
写真が付されています。経過概略と写真があれば、ある程度の推察は可能です。またそれは、わたしが10年前まで、毎日のように外来で繰り返していた作業でもあります。昔取った杵柄で、試みてみましょう。
まず、経過を見ます。時系列で表または図にするとわかりやすいです。
ーーーーー
(生後~小児期)生後数カ月で湿疹ができた。1歳ごろには気管支ぜんそくを患い、小学生まで入退院を繰り返した。次第にぜんそくは治まり、アトピー性皮膚炎の症状が出始めた。口の周りやひじ、ひざの内側がかゆく、遊んでいる拍子に腕をピンと伸ばすと、ひじの内側の肌が割れてあかぎれになった。
(高校2年)パスポート用の写真を撮ると、顔の赤みや湿疹が際だって見えた。「こんなひどい状態じゃ行けない」。近所の皮膚科医院にかけこんだ。ステロイドの塗り薬と飲み薬を処方され、使っているうち、かゆみが消えて顔の湿疹もきれいになっていった。
(大学)3年生のころから、肌の状態がまた、徐々に悪くなっていった。口の周りやひじ、ひざなどが、子どものころと同じがさがさの状態に戻っていった。ステロイドを広範囲に使うのは気が引けたので、昔と同じように、ひじやひざの内側など、その日一番炎症がひどい部分にできるだけ薄くすりこんだ。かゆみは治まらない。我慢できず、ついひっかくので、まだら模様にかさぶたができた。座るときに擦れるお尻と太ももの境目は皮膚から体液がにじみ出た。
(就活時)肌はいっこうに良くならず、だんだんゾウのようにゴワゴワになっていった。
(大学4年の2月)ステロイドを完全にやめ、自宅での漢方治療が始まった。肌は、みるみる悪化した。 全身がたまらなくかゆい。体中にひっかき傷とあかぎれができた。皮膚がつっぱり、布団の中でひざを伸ばすのに10分かかった。顔や首から体液がしみ出して、1日に何十枚もタオルをぬらした。 一日中カーテンを閉めてベッドに横たわった。夏でも寒く、空気に触れると刺されるように痛い。
(大学卒業後2年)それから2年余り。改善の兆しは見えず、荻野さんも悩み始めていた。事務職の仕事を始めた。全身の炎症は続いていた。出勤前に1時間早く起きて肌をかき尽くし、「今日は行けるかな」と毎朝考えた。仕事中にどうしてもかゆくなったときは、トイレでかいた。
(大学創業後5年)5年半が過ぎた2006年。もう一度、家族から都内の病院の受診を促された。「うん、行ってみる」。今度はそう答えた。もう疲れていた。
ーーーーー
これらの記述のうち、
ーーーーー
布団の中でひざを伸ばすのに10分かかった。顔や首から体液がしみ出して、1日に何十枚もタオルをぬらした。夏でも寒く、空気に触れると刺されるように痛い。
ーーーーー
これは、リバウンド(ステロイド依存からの離脱にともなう激烈な悪化)です。単なるアトピーの悪化では説明がつきません。依存に陥っていなかったなら、ステロイドを止めても、もともとのアトピーの症状に戻る程度の悪化しか起きないはずです。漢方の軟膏や入浴剤によるかぶれ(接触皮膚炎)の可能性はありますが、しかし、もしそうであれば、その後の経過において、軟膏や入浴剤を中止するまで滲出性の炎症は止まらないでしょうし、またそれらを止めればすっきりと良くなるはずです。数年間にわたって浸出→乾燥した皮疹へと移行する経過はとりません。
離脱に先立つ数年間のステロイド外用剤使用量については、不明瞭ですが、高2のときは
ーーーーー
使っているうち、かゆみが消えて顔の湿疹もきれいになっていった。
ーーーーー
でしたが、大学3年の頃には
ーーーーー
昔と同じように、ひじやひざの内側など、その日一番炎症がひどい部分にできるだけ薄くすりこんだ。かゆみは治まらない。
ーーーーー
でした。この時点で、ステロイド依存・抵抗性に陥っていた可能性はあります。ここは、はっきりはしません。あくまで可能性程度です。
次に皮疹(写真)です。今回の記事中で公開された写真は大学卒業後2年、すなわち離脱後2年で、事務の仕事を始めたころのものです。
【皮膚 大人のアトピー3 ステロイド中止 みるみる悪化】
埼玉県の荻野美和子さん(31)は、大学4年だった9年前、悪化するアトピー性皮膚炎に悩んでいた。ステロイドの塗り薬でも良くならず、次第に薬を使わなくなっていった。
大学4年の2月、インターネットで見つけた漢方を専門にする診療所を家族と一緒に訪ねた。待合室に「ステロイドは出しません」という張り紙があった。「いつかは分からないけれど、絶対に治る」と話す院長の言葉が心強かった。
ステロイドを完全にやめ、自宅での漢方治療が始まった。煎(せん)じ薬を入れた風呂に1日2時間つかる。上がったら、漢方薬の軟膏(なんこう)を全身に塗った。3カ月目ごろからは朝晩、「根っこの味」がする煎じ薬を飲んだ。
肌は、みるみる悪化した。
全身がたまらなくかゆい。体中にひっかき傷とあかぎれができた。皮膚がつっぱり、布団の中でひざを伸ばすのに10分かかった。顔や首から体液がしみ出して、1日に何十枚もタオルをぬらした。
太陽の下で自分の肌を見つめるのが怖くて、一日中カーテンを閉めてベッドに横たわった。夏でも寒く、空気に触れると刺されるように痛い。企業の内定はすべて辞退した。
肌は、表面のバリアが壊れた状態で外から刺激を受けると内側に炎症を起こす司令塔の細胞が集まり、かゆみの指令を出す。かくことでさらにかゆくなる悪循環が起きていた。
診療所は遠方のため通えず、診察は電話だった。いつも同じ薬が届いた。母の裕子(ゆうこ)さん(62)は「肌も見ないで、治療と呼べるのかな」と感じた。でも娘に「病院、変えてみない?」と促すと、「私の信じている治療を否定するの」と、すごい剣幕で返された。もう何も言えなかった。
それから2年余り。改善の兆しは見えず、荻野さんも悩み始めていた。自宅は自営業で、家族の働く気配も伝わってくる。ずっと家にいることに罪悪感が募った。 改めて面接を受け、事務職の仕事を始めた。全身の炎症は続いていた。出勤前に1時間早く起きて肌をかき尽くし、「今日は行けるかな」と毎朝考えた。仕事中にどうしてもかゆくなったときは、トイレでかいた。
漢方を始めて5年半が過ぎた2006年。もう一度、家族から都内の病院の受診を促された。「うん、行ってみる」。今度はそう答えた。もう疲れていた。
ーーーーー(ここまで引用)-----
http://megalodon.jp/2010-1111-2311-35/www.asahi.com/health/ikiru/TKY201011110197.html?ref=reca
朝日新聞の連載記事の3日めです。実例として紹介されている患者さんの経過が明らかにされつつあります。
写真が付されています。経過概略と写真があれば、ある程度の推察は可能です。またそれは、わたしが10年前まで、毎日のように外来で繰り返していた作業でもあります。昔取った杵柄で、試みてみましょう。
まず、経過を見ます。時系列で表または図にするとわかりやすいです。
ーーーーー
(生後~小児期)生後数カ月で湿疹ができた。1歳ごろには気管支ぜんそくを患い、小学生まで入退院を繰り返した。次第にぜんそくは治まり、アトピー性皮膚炎の症状が出始めた。口の周りやひじ、ひざの内側がかゆく、遊んでいる拍子に腕をピンと伸ばすと、ひじの内側の肌が割れてあかぎれになった。
(高校2年)パスポート用の写真を撮ると、顔の赤みや湿疹が際だって見えた。「こんなひどい状態じゃ行けない」。近所の皮膚科医院にかけこんだ。ステロイドの塗り薬と飲み薬を処方され、使っているうち、かゆみが消えて顔の湿疹もきれいになっていった。
(大学)3年生のころから、肌の状態がまた、徐々に悪くなっていった。口の周りやひじ、ひざなどが、子どものころと同じがさがさの状態に戻っていった。ステロイドを広範囲に使うのは気が引けたので、昔と同じように、ひじやひざの内側など、その日一番炎症がひどい部分にできるだけ薄くすりこんだ。かゆみは治まらない。我慢できず、ついひっかくので、まだら模様にかさぶたができた。座るときに擦れるお尻と太ももの境目は皮膚から体液がにじみ出た。
(就活時)肌はいっこうに良くならず、だんだんゾウのようにゴワゴワになっていった。
(大学4年の2月)ステロイドを完全にやめ、自宅での漢方治療が始まった。肌は、みるみる悪化した。 全身がたまらなくかゆい。体中にひっかき傷とあかぎれができた。皮膚がつっぱり、布団の中でひざを伸ばすのに10分かかった。顔や首から体液がしみ出して、1日に何十枚もタオルをぬらした。 一日中カーテンを閉めてベッドに横たわった。夏でも寒く、空気に触れると刺されるように痛い。
(大学卒業後2年)それから2年余り。改善の兆しは見えず、荻野さんも悩み始めていた。事務職の仕事を始めた。全身の炎症は続いていた。出勤前に1時間早く起きて肌をかき尽くし、「今日は行けるかな」と毎朝考えた。仕事中にどうしてもかゆくなったときは、トイレでかいた。
(大学創業後5年)5年半が過ぎた2006年。もう一度、家族から都内の病院の受診を促された。「うん、行ってみる」。今度はそう答えた。もう疲れていた。
ーーーーー
これらの記述のうち、
ーーーーー
布団の中でひざを伸ばすのに10分かかった。顔や首から体液がしみ出して、1日に何十枚もタオルをぬらした。夏でも寒く、空気に触れると刺されるように痛い。
ーーーーー
これは、リバウンド(ステロイド依存からの離脱にともなう激烈な悪化)です。単なるアトピーの悪化では説明がつきません。依存に陥っていなかったなら、ステロイドを止めても、もともとのアトピーの症状に戻る程度の悪化しか起きないはずです。漢方の軟膏や入浴剤によるかぶれ(接触皮膚炎)の可能性はありますが、しかし、もしそうであれば、その後の経過において、軟膏や入浴剤を中止するまで滲出性の炎症は止まらないでしょうし、またそれらを止めればすっきりと良くなるはずです。数年間にわたって浸出→乾燥した皮疹へと移行する経過はとりません。
離脱に先立つ数年間のステロイド外用剤使用量については、不明瞭ですが、高2のときは
ーーーーー
使っているうち、かゆみが消えて顔の湿疹もきれいになっていった。
ーーーーー
でしたが、大学3年の頃には
ーーーーー
昔と同じように、ひじやひざの内側など、その日一番炎症がひどい部分にできるだけ薄くすりこんだ。かゆみは治まらない。
ーーーーー
でした。この時点で、ステロイド依存・抵抗性に陥っていた可能性はあります。ここは、はっきりはしません。あくまで可能性程度です。
次に皮疹(写真)です。今回の記事中で公開された写真は大学卒業後2年、すなわち離脱後2年で、事務の仕事を始めたころのものです。
経過と併せて考えると、かなり強く自信を持って言えるのですが、経過を知らなくても、この写真を見れば、ステロイド離脱後一定期間経って、初期のじゅくじゅくした汁の出る滲出性の時期を越えて、皮膚の乾燥が強くなってきた頃のものだろう、と判断できます。それほど典型的なものです。脱ステロイドを手がける皮膚科医であれば、誰もが同じことを言うでしょう。
単なる慢性のアトピー性皮膚炎に比べると、写真下半分では皮膚の乾燥が強く、上半分では肥厚と萎縮とが入り混じっている感じです(慢性湿疹だけなら皮疹に萎縮の要素は入らない。皮溝が強すぎるってことです)。
黒いかさぶたは、角層下または表皮内の出血ですが、細菌感染による毛のう炎またはウイルスによるカポジ水痘様発疹の治りかけでしょうか。急にこのような膿をともなうブツブツが出てきたので、患者さんは慌てて写真を撮って残したのでしょう。敗血症になって熱が出たりしなければ、数週間でブツブツは自然に治まっていったと思います。掻破痕とは思えません。なぜなら、患者心理として、掻破したあとには、強い後悔と自己嫌悪が襲うので、その痕を写真で撮ろう、残そうなどとはしないからです。もしこれを「掻いた痕だ。掻くから悪化したのだ」と写真を見て誰かが患者に言ったとしたら、患者は深い憤りと悲しみを抱くでしょう。
この一連の経過は、わたしの分類では、激症型にあたります(→離脱経過の皮疹の分類)。当初じゅくじゅくの浸出期が続きますが、その後乾燥とともに、繰り返し皮膚の剥脱が起こります。そして皮膚が肥厚していきます。「皮膚が象のように肥厚するのはステロイドの副作用ではありません、ステロイドは皮膚を萎縮させるので薄くなるからです」という説明は、間違っています。昨日記した通り、離脱後の皮膚は、反動で一時期ごわごわと厚くなるからです。
このあたり(離脱後2年)からは、季節的な悪化と軽快を繰り返していたかもしれません。おそらくですが、この方の悪化季節は冬じゃないかなあ。なぜかというと、2月に離脱しているからです。・・これは、わたしの経験に基づくもので、理由は私にもよくわかりませんが、離脱後の患者は、離脱した季節に一致して周期的に悪化する方が多かったです。しかし、毎年毎年、悪化の程度は小さくなります。皮膚が過敏性の亢進(→こちら)を抜けるからです。
また、このあたり(乾燥期)からは、以前、依存に陥ってしまっていたステロイド外用剤にも、反応するようになります。効かなくなったと感じていたステロイド外用剤が、よく効きます。長いステロイド離脱で、患者さんは心身ともに参ってしまっているので、周囲の進めや叱責に応じて、あれほど嫌っていた皮膚科医のもとを再び訪れることもあります。そこで、「ステロイドは医師の指示を守って外用していれば安全な薬です」と諭されれば、自責感の強い性格のかたであれば「自分は間違っていた」と考えてしまうでしょう。さらに付言すれば、そのあと一部の患者は、ステロイドからの離脱を非常に怖れるようになります。ステロイド依存や離脱に関する話や情報に対して、無条件に強い負の感情を向けることもあります。いちど依存から離脱しようとして強いリバウンドに見舞われステロイド再使用に戻った患者に対して、他者がステロイド離脱の必要性を説いては絶対にいけません。患者はこの薬がどんなものかよく知っています。現在かかってステロイド外用剤の処方を受けている皮膚科医に対し本心から信頼を寄せているのでは決してないです。一時的な精神的緊急避難として心の平安を保つために活用しているに過ぎません。患者は心を閉ざしながらも、自分のペースで、ゆっくりと減薬に努めるはずです。最終的に離脱に行き着くひともいるでしょう。それこそが、たぶんステロイド外用剤の最も正しい使い方なのかもしれません。
ステロイドは、医師の指示を守って使っていれば安全かもしれません。ただし、その医師が、ステロイド外用剤のもつ依存性・抵抗性といった副作用をしっかりと認識し、患者にもはっきりと伝えていればですが。
この記事に登場する患者さんは、大学4年生からの人生の貴重な数年間を、自分の勝手な思い込みのためにただ無駄に浪費してしまったのでしょうか?そうではなく、この数年間によって、ようやく彼女の肌はステロイド外用剤に普通に反応するレベルにまで、依存から回復したということです。大学4年時の彼女にとって、この経過(リバウンド)を避けることは出来なかったでしょう。ステロイド依存状態にある患者が単なる漸減法によってはリバウンドを回避することはできないことの解説は以前記しました(→こちら)。さまざまなリバウンド軽減のための薬剤の研究報告についても記しました(1)(2)(3)し、プロトピックの活用も一つの方法です(→こちら)が、いずれも、激症型を抑える力はないでしょう。激症型のリバウンドのコントロールしながらの離脱に有用なのは、わたしの経験からは、逆説的ですが、ステロイドの全身投与だけでした(→こちらやこちら)。
このような経過を避けるためにどうすればよかったかというと、高2の時点で通っていた皮膚科医が、彼女に、ステロイド外用剤には依存性・抵抗性があるので使いすぎないように、もしそのような異常を感じたら、しばらく中止するように指示するべきであったと私は考えます。「パスポートの写真を撮ったら赤みや湿疹が際立って見えた」程度でステロイド外用剤の連用を始めるべきではありませんでした。処方する際に、一時的あるいは間歇的な使用に留めるよう、皮膚科医が強く警告すべきでした。
朝日新聞のこの連載の続きが、単に「皮膚科医の指示に従い、薬を勝手に止めないようにしましょう」で終わったとしたら、今、高2の彼女のような状況にある患者は、薬を塗り続け、同じ悲劇が繰り返されることでしょう。皮膚科学会ガイドラインの不備および、多くの皮膚科医の不勉強と欺瞞によって、ステロイド外用剤のもつ依存性と抵抗性は、このブログでこれまで紹介してきた多くの海外文献で示された事実であるにも関わらず、語られることが少ないからです。
ステロイド外用剤の持つ、依存性・抵抗性という負の側面を、皮膚科医がはっきりと情報提供することこそが、患者が上手にこの薬を使いこなすための助けになるのです。
朝日新聞の記事の影響力は、私のこの小さなブログに比べれば、計り知れません。記者さんが、わたしからのメールに気を留めて、ここを覗いて、本稿を読んで下さり、あと3回の記事の内容が、良いものとなることを祈るばかりです。
記事中に、「記事へのご意見や体験をお寄せください。あて先は〒104・8011 朝日新聞社報道局科学医療グループ「患者を生きる」係。ファクス03・3542・3217、メールは[email protected]へ。お名前、ご住所と電話番号を必ず添えて下さい」とあります。朝日新聞の連載はあと3回続きます。わたしは昨日に続き、本日もメールを送りました。是非皆様も体験・ご意見をお送りください。今後の記事の内容を再考していただけるかもしれません。(11月11日記)
2010.11.11
単なる慢性のアトピー性皮膚炎に比べると、写真下半分では皮膚の乾燥が強く、上半分では肥厚と萎縮とが入り混じっている感じです(慢性湿疹だけなら皮疹に萎縮の要素は入らない。皮溝が強すぎるってことです)。
黒いかさぶたは、角層下または表皮内の出血ですが、細菌感染による毛のう炎またはウイルスによるカポジ水痘様発疹の治りかけでしょうか。急にこのような膿をともなうブツブツが出てきたので、患者さんは慌てて写真を撮って残したのでしょう。敗血症になって熱が出たりしなければ、数週間でブツブツは自然に治まっていったと思います。掻破痕とは思えません。なぜなら、患者心理として、掻破したあとには、強い後悔と自己嫌悪が襲うので、その痕を写真で撮ろう、残そうなどとはしないからです。もしこれを「掻いた痕だ。掻くから悪化したのだ」と写真を見て誰かが患者に言ったとしたら、患者は深い憤りと悲しみを抱くでしょう。
この一連の経過は、わたしの分類では、激症型にあたります(→離脱経過の皮疹の分類)。当初じゅくじゅくの浸出期が続きますが、その後乾燥とともに、繰り返し皮膚の剥脱が起こります。そして皮膚が肥厚していきます。「皮膚が象のように肥厚するのはステロイドの副作用ではありません、ステロイドは皮膚を萎縮させるので薄くなるからです」という説明は、間違っています。昨日記した通り、離脱後の皮膚は、反動で一時期ごわごわと厚くなるからです。
このあたり(離脱後2年)からは、季節的な悪化と軽快を繰り返していたかもしれません。おそらくですが、この方の悪化季節は冬じゃないかなあ。なぜかというと、2月に離脱しているからです。・・これは、わたしの経験に基づくもので、理由は私にもよくわかりませんが、離脱後の患者は、離脱した季節に一致して周期的に悪化する方が多かったです。しかし、毎年毎年、悪化の程度は小さくなります。皮膚が過敏性の亢進(→こちら)を抜けるからです。
また、このあたり(乾燥期)からは、以前、依存に陥ってしまっていたステロイド外用剤にも、反応するようになります。効かなくなったと感じていたステロイド外用剤が、よく効きます。長いステロイド離脱で、患者さんは心身ともに参ってしまっているので、周囲の進めや叱責に応じて、あれほど嫌っていた皮膚科医のもとを再び訪れることもあります。そこで、「ステロイドは医師の指示を守って外用していれば安全な薬です」と諭されれば、自責感の強い性格のかたであれば「自分は間違っていた」と考えてしまうでしょう。さらに付言すれば、そのあと一部の患者は、ステロイドからの離脱を非常に怖れるようになります。ステロイド依存や離脱に関する話や情報に対して、無条件に強い負の感情を向けることもあります。いちど依存から離脱しようとして強いリバウンドに見舞われステロイド再使用に戻った患者に対して、他者がステロイド離脱の必要性を説いては絶対にいけません。患者はこの薬がどんなものかよく知っています。現在かかってステロイド外用剤の処方を受けている皮膚科医に対し本心から信頼を寄せているのでは決してないです。一時的な精神的緊急避難として心の平安を保つために活用しているに過ぎません。患者は心を閉ざしながらも、自分のペースで、ゆっくりと減薬に努めるはずです。最終的に離脱に行き着くひともいるでしょう。それこそが、たぶんステロイド外用剤の最も正しい使い方なのかもしれません。
ステロイドは、医師の指示を守って使っていれば安全かもしれません。ただし、その医師が、ステロイド外用剤のもつ依存性・抵抗性といった副作用をしっかりと認識し、患者にもはっきりと伝えていればですが。
この記事に登場する患者さんは、大学4年生からの人生の貴重な数年間を、自分の勝手な思い込みのためにただ無駄に浪費してしまったのでしょうか?そうではなく、この数年間によって、ようやく彼女の肌はステロイド外用剤に普通に反応するレベルにまで、依存から回復したということです。大学4年時の彼女にとって、この経過(リバウンド)を避けることは出来なかったでしょう。ステロイド依存状態にある患者が単なる漸減法によってはリバウンドを回避することはできないことの解説は以前記しました(→こちら)。さまざまなリバウンド軽減のための薬剤の研究報告についても記しました(1)(2)(3)し、プロトピックの活用も一つの方法です(→こちら)が、いずれも、激症型を抑える力はないでしょう。激症型のリバウンドのコントロールしながらの離脱に有用なのは、わたしの経験からは、逆説的ですが、ステロイドの全身投与だけでした(→こちらやこちら)。
このような経過を避けるためにどうすればよかったかというと、高2の時点で通っていた皮膚科医が、彼女に、ステロイド外用剤には依存性・抵抗性があるので使いすぎないように、もしそのような異常を感じたら、しばらく中止するように指示するべきであったと私は考えます。「パスポートの写真を撮ったら赤みや湿疹が際立って見えた」程度でステロイド外用剤の連用を始めるべきではありませんでした。処方する際に、一時的あるいは間歇的な使用に留めるよう、皮膚科医が強く警告すべきでした。
朝日新聞のこの連載の続きが、単に「皮膚科医の指示に従い、薬を勝手に止めないようにしましょう」で終わったとしたら、今、高2の彼女のような状況にある患者は、薬を塗り続け、同じ悲劇が繰り返されることでしょう。皮膚科学会ガイドラインの不備および、多くの皮膚科医の不勉強と欺瞞によって、ステロイド外用剤のもつ依存性と抵抗性は、このブログでこれまで紹介してきた多くの海外文献で示された事実であるにも関わらず、語られることが少ないからです。
ステロイド外用剤の持つ、依存性・抵抗性という負の側面を、皮膚科医がはっきりと情報提供することこそが、患者が上手にこの薬を使いこなすための助けになるのです。
朝日新聞の記事の影響力は、私のこの小さなブログに比べれば、計り知れません。記者さんが、わたしからのメールに気を留めて、ここを覗いて、本稿を読んで下さり、あと3回の記事の内容が、良いものとなることを祈るばかりです。
記事中に、「記事へのご意見や体験をお寄せください。あて先は〒104・8011 朝日新聞社報道局科学医療グループ「患者を生きる」係。ファクス03・3542・3217、メールは[email protected]へ。お名前、ご住所と電話番号を必ず添えて下さい」とあります。朝日新聞の連載はあと3回続きます。わたしは昨日に続き、本日もメールを送りました。是非皆様も体験・ご意見をお送りください。今後の記事の内容を再考していただけるかもしれません。(11月11日記)
2010.11.11